まちづくりに近づきたくて近づけなかった話。

いつぶりかに自分を嫌いになった。

とある講義で「まちづくり」に関して様々な人と話し合う機会があった。まちづくりに関して学んでいる大学生、まちづくりに関わる仕事をしている人、地域に積極的に関わってまちをより良くしたいと思っている人…。

私はというと「まちづくりとはそもそも…?」状態であった。

はじめは作業療法士こそ地域に関する知識はあった方がいいし、急性期で働いていても対象者の生活の場となる地域の実情を知っておくのは絶対に大切だな〜、知らないことを吸収しよう〜と意気込んでいた。

しかしまちづくりに対する熱量が凄く、様々な人と繋がって地域をより良くしようといった空気感にあまり馴染めず、これはアウェーだと思ってしまった。休み時間まで皆さんずっと自分の取り組みや仕事のことを語り合っていた。

自分だけペンを持った手が動かない、話聞いても単語の理解が追いつかない、話していることが頭を通り過ぎていくだけ…。

そんなこんなで居心地悪く感じる時があった。講義中に初めてだったかもしれない、ここにはいられないと思ったのは。

事前の課題だって、まちづくりとそれまで縁がなかったからできるかな…?と感じながらも、途中から楽しくなり2時間考えられた。地域の、特に高齢者の健康や作業バランス、文化に根付いた活動など、作業療法の視点から考えるのは難しくなかった。

でも講義で活かすことはあまりできなかった。まちづくりに携わってきた人たちの視点の多さに圧倒され、周りのみんなも〝うんうん〟と気持ちの良いぐらい頷く。いや、私1人全然気持ちよく〝うんうん〟できんのやけど…。自分が話し出そうとすると、違う人も同時に言葉を発して、私は押されてしまい、黙り込むしかなかった。徐々に自分が考えてきた内容は、その場で求められていることではないような気もしてきて、周りの人の熱量に押されて、発言するタイミングを図ることすら諦めた。なんか自分を殺している感覚にもなって泣きそうだった。

こんな状況で私の顔はおそらく死んでいた。それを見計らって気を遣わせてしまったのか、何名かに声をかけられた。

自己都合で不機嫌になり、周りにも悪影響を与えてしまうような人は苦手だなと思ってたのに、自分がそうなっていたかもしれない。

今回まちづくりに力を入れている方々の世界観を知れたのはいい経験だったかも知れない。帰る時にはこんな私でも、これからも繋がれたら…と声をかけてくださる。でもしばらく私は近づけないだろう。

まちづくりと作業療法。大切そうなのに、可能性を感じるのに、私にはまちづくりを頑張っている人たちに向かう力も熱量もなかった。

とりあえず自分の居心地がよくて面白いと思える土俵に逃げるけど、戻れるのかな、戻りたいと思うかな。




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