日記を再開した話
5-6年ぶりに日記を再開した。
小学校6年生〜高校2年生くらいまでは日記をつけていたが、徐々に毎日書くことが難しくなってしまい、大学生に入ってからはほぼ書かなくなった。
たまに振り返ることがあるけど、中学生の時はかなりイケイケだ。どう言う意味でイケイケかというと、松岡修造さんばりのテンションで自分を奮い立たせている。
これまでの日記語録
以下はよく私の日記の中に登場していた言葉たちである。時間軸で並べてみたくなった。
*小学生の私「ファイト」
まだ純粋で言葉選びも可愛い。かなり素直。素直すぎて感情のままに書きなぐっているような少々荒々しい日記でもある。この頃は大縄跳び大会に超絶本気。男子と言い合った記録が残ってた。
*中学生の私「I can do it」「やればできる」「精神一到」「自分の人生を最大限に生きる」「正しいことを貫く」「努力は必ず報われる」
太いマーカーでこれらの言葉をノートの四隅に書いていた、一番のイケイケ期。文字の周りにはデコレーションが施されており、テンションが高い。怖いもの知らず。
*高校生の私「なるようになる」「無理しない」「前途洋々」「道が開けると信じる」
ちょっと落ち着いた。勉強や部活において自分よりできる人たちが沢山いる環境で「精一杯やったつもりだが敵わない」経験を重ねたからか、これらの言葉に行き着いている。ちなみに前者の2つの言葉は今でもよく使う。高校生の時は松岡修造さんの日めくりカレンダーにお世話になっており、中学のイケイケさも忘れてはいなかったと思う。
*大学受験直前の私「必死にもがく」「死ぬ気で頑張るしかない」「絶対夢を叶えます、叶えてみせます」
今読んでもホラー。文字がヘニョヘニョだし、何かに取り憑かれているよって言うレベル。それだけ追われていたんだな。
作業療法士を目指したいと思った日の記録
自分が卒業した養成校のオープンキャンパスへ行った時の日記だった。
正直滑り止めとしていた学校だったが、この学校に通う運命だったのか?と思わせられる内容だった。高校2年生の私は作業療法をこのように捉えていたよう。作業療法士になった今見返しても、大事にしたいなと思える言葉だった。このように作業療法のことを伝えてくださった、当時の先生には本当に感謝している。
なぜ日記を再開するのか?
noteで文章書くことは好きだが、頑張ってしまうから。文章を考えるのは楽しい時間だから良いけど、どこか力が入ってしまう。
何気ない気持ちを書き留めておくことが、自分を律することに繋がったり、将来見返した時に役に立っていたりするのではないか、と過去の日記を振り返って感じた。
日々思ったことや些細な気持ちをストレートに、日記帳に手書きで残しておきたいという思いで日記を再開した。今のところ楽しい。
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