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息をしたくて

症例検討会2日前に資料を作り始めた。

勤めている病院では症例検討会が当番制であり、OT全員年2回発表する機会が回ってくる。

今回はかつてないギリギリさ。
心身の不調が続いていたため、正直今回の症例検討は無事に終わることだけが目標だった。だからいつもように、〝OTの皆さんにこういうことが伝えたい!!〟という熱量で2-3週前には資料がほぼ完成しているみたいな状況からは程遠く、直前にサクッと作っちゃおう〜と思っていた。

結果、業務後2日間とても時間をかけて作っていた。作り始めたら集中して入り込んでしまい、〝サクッと〟なんて言葉は私の中から消えていた。

これまでも何度かカルテ上で経過をまとめてはいたのだが、資料を作り始めると自分の至らなさに絶望した。カルテスペースで本当に頭抱えた。

上司と話し合って、不調の自分でも臨床に対する思考はそれなりに正常であると判断したので仕事は続けた。今回の対象者さんの介入においても方向性は間違っていなかったと思うが、まとめればまとめる程、評価の不十分さや、目標を早急に具体的に修正すべきタイミングでできていなかったことに気づき、もっとこういうことできたなぁ…という思いが頭の中をぐるぐるしていた。

自分に絶望することこれまでにも何回もあったよな〜と思いながらも、色々気づけたし自分の頭の中を整理できたので良い機会になった。

翌日からはもっと丁寧にこの対象者さんに向き合えた気もする。

対象者について考え始めると〝テキトー〟にできない自分がいかにも自分で、それが苦しくもありほんの少しだけ誇りでもある。

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症例検討会も無事終わったので一息ついたところだった。

数時間後に5ヶ月くらいずっと力を入れて取り組んできたことが、水の泡になってしまったような報告を受けた。決して全てが無駄になったわけではないのだが、とても残念で悔しい気持ちになった。

詳細は文章に残しても大丈夫なタイミングになったら残すかもしれない。

よく頑張った!と自分を認める暇もなく、受け止めざるを得ない事実が自分に突きつけられている。

NICO Touches the WallsのDiverが頭の中で流れている。



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