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テニミュ4th関氷 控え戦の歌詞について

テニミュ4thシーズン関東氷帝公演が始まった。これまで『関東氷帝』公演における大きな見せ場の一つとしてあった『あいつこそがテニスの王子様』が、4thでは封印され、新しい楽曲、歌詞、演出となった。
その中で、これまでとは違う歌詞のアプローチで面白いなと思った箇所があったのでメモしておく。

まず、この公演最後の試合となるのが、シングルス1の後の控え戦、越前リョーマVS日吉若だ。
日吉若といえば、原作はもちろん、某有名動画によりやたら知名度のあるこの試合の中で歌い継がれていた歌詞によって、「下剋上」というイメージは強く刻まれていることだろう。
その「下剋上」という言葉について、リョーマと日吉が応酬する場面がある。
その場面について、これまでの歌詞と、リョーマのパートにおける「下剋上」の扱いが、少し変化していたように思う。

まず、1stシーズンから2ndシーズンまで歌われてきた日吉のパートについて。

下剋上だぜ つぶせ
のし上がるぜ頂上まで
追いかけるのが快感だぜ
追いついてぶっつぶしてやる
『あいつこそがテニスの王子様』

日吉が、自分より上位の者を倒すことに執着しているということが簡潔にわかる。これは原作の台詞には無いので、ミュージカルの解釈となるが、概ねそういうことで間違いないだろう。
しかし、相手を「上位の者」と置くということは、自然と相手より自分を下位に置くことになる。そこにリョーマは着目する。

下剋上って 言うけど
オレには関係ないさ
敵が強ければ強いほど
対等にぶつかりあうだけ
『あいつこそがテニスの王子様』

どんな相手でも自分を下に置くことはない、対等にぶつかり合うだけ、と目の前の試合に全力を尽くす姿勢を表現している。これがリョーマの基本姿勢である。

3rdシーズンでは、以下のように少し歌詞が変化している。

下剋上だぜ 俺のテニス
お前を超えて下剋上だ
下から上へのし上がる
俺の人生全て下剋上
(中略)
あがけつぶれろ 敗北を知れ
俺の人生すべて下剋上!
『下剋上2016』

「俺の人生全て」というように、下剋上に目覚めた3歳の頃から確立している自我があり、それが大きく日吉の精神面を占めており、さらに今現在置かれている状況、氷帝内でのポジションを意識している歌詞と言える。また、一年生にそぐわないふてぶてしさを持つリョーマに対し「敗北を知れ」と、自分が上位であると見せつけているような歌詞でもある。
それに対しリョーマはこう返す。

下剋上って 何言ってんの 
そんなの関係ない
俺は俺のテニスをするだけさ
『下剋上2016』

「俺の人生全て」とまで言っている相手に対して「何言ってんの」と一蹴する。これを歌う古田くんの溢れ出る生意気さも相まって、ものすごく煽りっぽく聞こえていたが、下から上へ、という発想そのものを完全に否定している。常に立場に関係なく相手を倒す、そしてその更に上を見ている。正にリョーマの姿勢を体現している歌詞である。言葉が強くなりはしたが、これは1st〜2ndと同じ描かれ方をしていると考えられる。

上記の歌詞について、台詞との整合性はどうか。
まず日吉の、「お前にとっての下剋上はここにはないんだよ」というセリフ。これは、下級生に自分を倒すことなんてできないだろうと思っている日吉の、下の者に倒されることはないという若干の慢心だろう。

一方リョーマは、それに対し「下剋上ってさあ 下位の者が上位の者の地位や権力をおかすことじゃなかったっけ?」と、それって最初から自分を下に置いてるってことだよね?と、「下剋上」という言葉の意味をそっくりそのまま返すことで、揚げ足取りのようでいて試合ではあってはならないメンタルだということを伝えている。
歌詞にも齟齬はなく、このやりとりを元にして作られていることがわかる。

では、4thではどうか。
今回、なんと新しく完全に日吉専用のソロ曲が誕生した。
聴き取った歌詞がこちら。

未来永劫 君臨など無い 
そのための下剋上
「そのためにはまずこの一年を…」

洗練されたマッチを見せてあげるさ
見せない戦略の術
ジリジリと居場所を仕留める
眠る獅子に騙されないで

諸行無常 日吉浮上 決めるぜ下剋上
下剋上 下剋上
『下剋上2023(仮)』

とっぱじめに「未来永劫君臨などない」と歌うことから、これはまず「氷帝学園のテニス部トップである跡部景吾」を指していると思われる。「そのための下剋上」という部分から、「自らの部内の地位を上げるため、目の前の試合をこなす」と考えているような意味に捉えることができる。
自分の置かれた状況のみを注視している、いわばモノローグ的な役割となっている。

それに対して、私が新しいなと思ったのはリョーマ側の歌詞についてだ。
今回は歌の中の応酬ではなく、日吉ソロ〜試合〜リョーマソロという流れになっている。日吉の下剋上という信条に対し、リョーマが以下のように返すパートがある。

そういえば下剋上か いいこと聞いた
つまり俺がアンタを倒せば 理想通りだね
待たせたね 下剋上さ 一年ルーキー 
俺がアンタを倒せば 言葉通りだね
決めてやるよ

おや?と思ったのが「いいこと聞いた」という部分である。
「俺には関係ないさ」「下剋上って何言ってんの」と歌っていたリョーマが「いいこと」と言う、その意味は何か。
これは、単に下剋上という言葉が「いいこと」なのではなく、日吉の言う下剋上を言葉通りに捉えた時の結果を指している、と私は思った。
「下位の者が上位の者の地位や権力をおかす」、つまり日吉が「下位」だと思っているのは、ここではリョーマのことである。
しかし、リョーマはそれを逆手に取り、「ということは、この試合は俺が勝つけど、いいよね?」と言っているのではないだろうか。
そして、「理想どおりだね」は、下剋上を否定しているリョーマの理想ではない。
スポーツの試合に負けるということは、必然的にトーナメント及び勝敗において「上下」が生まれることになる。
「下剋上が好きならば、負けたら下になれるよね。じゃあ、アンタが負けたら下になれて理想どおりだね」という、リョーマの渾身の挑発だろう。本当に「いいこと」と思っているわけではなく、「フーン、そんな考えでいいんだ」とリョーマは考えたのではないだろうか。
そして、あえて日吉の言葉に乗っかり「一年ルーキー 俺がアンタを倒せば 言葉通りだね」と、どう転んでも「相手を下位に置く時点で、自分が負ける側になるのだ」という、捻れた構造を指摘している。

日吉は、学年でしか相手の実力を判断していなかった。越前リョーマを完全に舐めていた。今回4thではそこを抉ることで、日吉の視野の狭さをまざまざと見せつけている。
私はこれまでの「対等に試合をするだけ」というリョーマの姿勢が表れた歌詞も大好きだが、今回の、挑発的な意味を多分に含む、正に「減らずグチ」な歌詞も、かなり好きだ。
行方の決められた勝負などない。しかし、上下を勝手に決めたことで敗北する。この試合の2人の関係性が、うまく表現されているのではないだろうか。

4thシーズンおよび本公演には、まだまだ個人的に思うところはあるものの、こういった新しいアプローチ、表現から見えてくるキャラクターの具体像が出てくること自体は、面白いと思った。

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