兄と妹の私
はじめに
今日、兄が「夕ご飯、優子の分も買ってきます」と言われて数億年ぶりに兄らしいなと思った。
これは、私が兄に対して「どうでもいい」と思うまでの感情の変化の話
幼少期
兄は未熟児で3日間生死を彷徨って、そして生まれた子らしい。両親にとって初めての子だ。可愛がられた。
1年半後、私が生まれた。体重は3700gで自然分娩だった。1日かかったらしい。元気だった。
そんなベイビーたちが生まれて両親は嬉しくて、私たちが2、3歳までのホームビデオがたくさんあった。
兄が3、4歳の頃に、発達障害と知的障害を持ってることが発覚した。理由は、私が先に色んなことができてしまい、母が兄の発達に疑問を持ったからだ。
私は兄に対して、この頃はめちゃくちゃ仲が良かった。遊び相手で一緒に公園で遊んだり、おじいちゃんと遊んだり、全てが楽しかった。
ただ、一つ嫉妬心みたいのがあった。
私と兄は保育園に通ってた。お昼ご飯の時に、私は野菜が嫌いで、給食を食べずにいて窓の外を見てた。すると外に父親が居て「あ!お迎えの時間だ!」と嬉しくて待っていた。
しかし、数分後には兄だけ連れて帰る姿を見た。私はすっごく悲しくて窓の前で大泣きした。「なんでお兄ちゃんだけなの?」
小学生
家には「発達障害について」「知的障害について」の本がたくさんたくさんたくさんあった。なんか小さい子向けの絵本みたいな物まであった。
私は漫画とかは読みたいタイプだったし、活字よりは絵が入ってるやつも読んでた。親は学校に寄付する用で買っていたが、返却されたのを数年後愚痴で聴かされた。
何も考えずに、ただ本を読んで「兄は私やみんなと違うのか」うっすら考えた。
高学年になり、それがハッキリ分かった。
兄は服薬の副作用で体重が激太りしたり、IQも精神年齢も私より下になった。
私が越したのだ。そしてそのぎこちなさが私は反抗期にあたり、毎日兄と喧嘩してた。内容はテレビのチャンネル争いだけど、内容はNHKの天気予報見たい兄vs夕方アニメ見たい妹で毎回バトル。
そして手を出して、毎回私が諦める立場だった。1回ならいいけど1000回以上やられた。親がTVをもう一台購入したけど私は一番大きいTVで見たかった。1001回目になると諦めて小さいTVで小さく縮みこまって見てた。
また、同級生との「兄弟姉妹トーク」についていけなかった。私は「妹」なのになんで「姉」みたいに我慢や諦めなきゃいけないのか。悩んで、毎回聞き手に回ってた。
母親は私に「兄やその周りの大人たち」の愚痴をたくさん言われた。
父親は出張を理由に家族に無関心だった。海外出張ほど怖い物はなかった。
こう書くとネグレクトを想像されやすいけど、ご飯や服や本など物資は与えてもらってた。私に対する時間が少なかっただけ。家では何も考えずに殻に籠って生きてたけど、私は私なりに外では友達と遊んで楽しく過ごしてた。
中学生
兄のことを言ったら「ガイジ!」って言われるからずっと一人っ子で通してた。てか、いじめられるの怖かった。
幸い女子はみんな優しい子が多くて良かったが、男子は最悪だった。どこからか、私の兄のことがバレてイジメられそうになったけど、その時ずっと好きだった人が助けてくれたから未然になった。
ただ、その危機に出会し、「兄は社会的に見てもダメな人間なんだ」「もう、あれは兄じゃない」とか考えてた。
家でも兄は気に入らないことが起こると
本棚や電話を壊したり、夕ご飯を全部ゴミ箱に捨てたり、親のことを召使いのように暴言吐いたり、兄は兄でパニックになってるってわかってたけど、けど…
親は私にその事を愚痴られて、私も「私は他人のために生きてるんだな」と洗脳しかけた。
中学生は多感だったし、公立で共学の学校に通ってたため、今思えば色んな立場の子たちと帰り道親の話をみんなそれぞれ言い合ってた。私は毎回号泣していた。友達はどう思ってたかわからないが、卒業まで一緒に帰ってくれて嬉かった。
ちなみに、家では一人でPCでニコニコ全盛期を楽しんだり、外では友達とカラオケ行ったり、コミケに参戦したりと家族以外の時間を楽しく過ごしてた。
高校生
私は第一志望に落ちた。第二志望以下は自分にプレッシャーをかけるため「私立」「通学時間1時間」の「女子校」か「ほぼ男子校」にしていた。
私は中学の過去もあり、「女子校」を選んだ。でも後々、女子特有の空気感が馴染めなくて私は辛くなった。
兄は兄で就職先が見つからずだったし、体が大きいためにキレた時の破壊力はデカすぎて、家具がよく壊れた。
両親も、各々の親が死んで病んでた。
よく一家解散にならなかったな。
私は兄については「もう無いもの」として考えた。
そっちの方が楽だった。どんなに社会に対していいことを考えても、これでしか考えてなかった。兄のことを考えると「親が死んだ時に私がこいつの面倒みるのかよ」とうざかった。親戚にも同じようなことを言われて、次の日の学校帰りは各駅で帰った。涙が早く引くように。
殻に殻を被して、よく家以外のところへ出かけてた。学校は人間関係辛いだけで勉強や部活は家での時間を忘れられるから楽しかった。もう、そこでしか、私は私を保つしかなかった。
大学生
そんなことをしてたら私が難病になり、親が今度は私の方の心配へシフトした。
正直、その対応の変わりようは気持ち悪かった。
兄に対しては今までの気持ちを反省した。
私が兄の立場になったのだ。社会に対する対応が前と違い小さい嫌がらせを何度も受けて、兄もこんなこと体験してたのかと、バチが当たったなと反省した。
とは言っても反省をしただけで、小さい喧嘩はやってた。兄は私に対して正直何も変わってない。喧嘩内容はTVの争い。今度は私がよく勝つようになってた。話もここから2、3ラリーするように聴いた。癖でたまに苛立ってすぐ私から中断した。兄は就労支援に通い始めた。
社会人
私は一人暮らしを始めて、実家へ帰ったら、兄はよくオヤツを買ってくれた。
兄はA型事業所で働いてた。だから、お金は最低限貰ってるやろうと、オヤツ代請求されても無視した。
兄は公共の支援者と繋がってた。てか、私が親から兄のことで愚痴やら聞かされたくないという理由で捌け口を支援者にした。繋げてやったぜ。
たまに兄のことで問題があると私からその支援者に電話相談してた。
私はある時「私、兄のこと面倒みたくないです」と愚痴をこぼした。
そしたらその支援者は
「大丈夫ですよ。優子さんが関わらなくても私たちがなんとかしますから。優子さんは逆に相談しても大丈夫ですから」
心に中にあった、重荷が、軽くなった。
ああ、なんか、自分のために生きおうって更に今までの私が背中を押してくれたような気がした。
今日
両親が旅行に行っており、夕飯がない。
会社帰りの兄が私に「夕ご飯どうすればいいの?」と言われて「お弁当買ってきて」とお願いした。
松屋でハンバーグ定食を頼んだはずなのに
量が多いDXバージョンを買ってきた。追加で牛皿も買ってきた。わざとらしい。NHKの天気予報を一緒に見た。私も一緒に見たかったから。その後のニュースも見て、兄は最近行った旅行の話をした。
私は「ふーん」と「そうなんだ」と返した。
あと帰りにこっそり31アイスクリームを食べたことを言われ、少しムスッとした。
兄のことは「どうでもいい」がもし亡くなったら、今なら葬式で泣くくらいの関係だ。だって、松屋であんなに買ってきたのにお金請求してこない。妹としてはその優しさを知ってるから泣くな。
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