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伊香保くらし泊覧会 発起人の思い Vol.1 〜お土産は 時間と空間がはなれても思い出を感じ取れる 唯一無二の存在〜

伊香保くらし泊覧会の発起人である、伊香保おかめ堂本舗の4名。
どんな思いで伊香保くらし泊覧会の企画をスタートさせたのか。そして、第一回目の企画が終わった今、どんなことを感じているのか。
改めて、それぞれの立場からお話しいただくことにしました。

1人目の話し手は、民芸山白屋・真淵智子さん。

民芸山白屋・真淵智子
江戸時代から代々続く民芸山白屋。創業当初は木賃宿(きちんやど:泊り客が自炊し、燃料代だけ払うしくみの宿)。その後、庭師・下駄屋・土産物屋と、100年以上業態を変えながら同じ場所で商いを続ている。現在は、和小物と民芸品を中心に観光土産などを扱うお店となっている。
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自分たちの地域をよりよくするための"顔が見える組織"
伊香保おかめ堂本舗

伊香保くらし泊覧会の発起人の伊香保おかめ堂本舗(以下、おかめ堂)は、私以外の3名は老舗旅館の若女将たち。
おかめ堂自体の設立は2005年で、早15年以上の付き合いになります。

▲伊香保おかめ堂本舗4名(左から、民芸山白屋 真淵、千明仁泉亭 千明、ホテル松本楼 松本、いかほ秀水園 飯野)

お互いを知ったきっかけは、2002年に開かれた渋川地域の品質向上委員会。観光協会に所属する旅館や商店以外にも、市の職員・住民・民間の人など…あらゆるジャンルの人が集まって渋川をよりよくするために意見交換をする場でした。

当時、この委員会自体とても画期的ではあったのですが、「じゃあ誰がやるの?」の大切な部分がずっと決まらない状態だったんです。「やりたいのにやれない」フラストレーションが溜まっていくばかりでした。

その委員会で、私たち4人は初対面だったものの、「こうなりたい」「ここがダメだよね」「できるところからやろう」と、自然と意見を出しあえる関係になっていきました。

4人の共通点が...
・世代は違うけれど、同じ高校出身だったこと
・一度外で働き、また故郷の伊香保に戻ったこと
・戻ってきたタイミングがちょうど一緒だったこと
ということもあり、すぐに打ち解けました。

同じような思いを持っていた私たちだったので、具体的に動くために「有限会社伊香保おかめ堂本舗」を設立することに至りました。しかし、何かはじめたいけど、お金がない…。そこで、まずは取りかかりやすい伊香保の魅力を活かした商品作りを行いました。

はじめの商品は、伊香保の源泉入りの石鹸。次に源泉入りのスプレー、あぶらとり紙、そして伊香保のフリーペーパー「栞」(この頃からakamanma田口さんに協力してもらっていました)を作るなどして徐々に資金を貯めていきました。

▲黄金ツルスベ石鹸・白銀モチプル石鹸(伊香保おかめ堂本舗プロデュース)

伊香保地域の中で、私たちおかめ堂はかなり異端児的な存在で、「お嬢さん芸」「またやってるよ」と言われることもしばしば・・・(もうお嬢さんっていう世代でもないですが笑)私の父からも「お土産屋なのに、なぜ旅館とつるんでやっているんだ。考えられない。」と言われつづけていましたね。

新型コロナウイルスの影響で伊香保は大打撃
そのなかでもんもんと考えた 私たちにできること

周りから色々と言われながらも、おかめ堂の活動を継続してやっていましたが、2020年春、新型コロナウィルスの影響で、人が伊香保に全く来なくなり売上は激減。休業要請も出て、山白屋のお店自体を閉じていた期間もありました。

お客さんが全く来ない期間は、お店の掃除をしながら「観光は全く不必要なものなのか?」とう自問自答の繰り返し。「ただネットに切り替えたからと言って済むことではない」など、もんもんとしていた時間を過ごしていましたね。

そんな閑散とした日々が続いていましたが、2020年10月にGo Toトラベルキャンペーンが東京で始まって、ものすごい勢いで人が増えました。いつものお客様と学生たちの旅行で、現場はてんてこまい。常に一喜一憂で、ジェットコースターに乗っている様な気持ちでしたね。

そんな中で、群馬県のニューノーマル創出支援事業費補助金の募集を見つけました。Go Toで急に忙しくしていましたが、いつまた状況が変化するかわからない。「今こそおかめ堂で培ってきたつながりを発揮してこの危機を乗り越えなくては!」という思いで、伊香保くらし泊覧会の企画書をほぼ徹夜で書き上げ、なんとか無事に採択されました。

伊香保くらし泊覧会が目指す夢
その中での"お土産屋"の存在意義とは

「大正ロマン」の代表とも呼ばれる画家・詩人 竹久夢二の思いに共感して生まれた伊香保くらし泊覧会。夢二は伊香保の地で美しいくらしを守るための「榛名美術研究所構想」を持っていました。

伊香保くらし泊覧会が目指すのは、くらしの延長にある伊香保への旅の中で、作家さんの美しい作品を旅館で取り扱い、旅の思い出と共に体感してもらいたい。そして美しいくらしをこの伊香保の地で守りたい。そんな夢が込められています。(実は、この企画内容自体は約10年前から浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・と、ずっと温め続けていたものでした)

そしていざ、実際に企画が動くとなったとき、実のところをいうと「自分のお店=お土産屋」がどうこの企画に携われるかがあまりぴんときていなかったんです。

旅館であれば、作家さんの器などを食事の際に使用して、お客さんに体感してもらうことはできますが、「お土産屋」となると、実際に使用することはできないので、店内に並べて販売するのかな?というイメージでした。

伊香保くらし泊覧会に限らず、お土産屋として地域のイベントに参加する時、困ることが多々ありました。旅館の売店はものを移動させやすいかと思いますが。私の店ではたくさんの小さな民芸品を常設で取り扱っている。

お皿や花器などのサイズ感が、15坪というお店の大きさにフィットしない。ただ作品を並べればいいというものではないですし、保管場所もない本当に限られたスペースでお店をやっているため、なかなかやるには難しいなと感じていました。

▲民芸山白屋 外観と店内の様子

お土産は 時間と空間がはなれても思い出を感じ取れる
唯一無二の存在という気づき

伊香保くらし泊覧会では、山白屋としてはお店に作家さんの作品を置くことはせず、企画運営で携わりました。実際にやりはじめてみると、うちの売り場を考え直す、本当にいいきっかけとなりました。もっと広義に言うと、今後の「温泉地のあり方・お土産のありかた」を考えるとてもいい機会となりましたね。

おかめ堂の中で、山白屋が唯一「物販」の立場。お土産って「旅をしている時間と空間をはなれて家に持って帰れる唯一のもの」。その視点がこのプロジェクトにおいてもとても大事だと思っています。旅の余韻ですよね。一泊二日のたった二日間しかいない旅かもしれないけれど、もしかしたらそのお土産は、何十年も後になっても自分の手元に留めておけるもの。

大袈裟に言えば、その土地の記憶や、家族との思い出を蘇らせるものだと思います。そういった視点が旅館をやっている他の3人の中に加わると、また異なる立場でものごとを見られるのかなと感じています。

山白屋は、江戸時代ごろに木賃宿(きちんやど:泊り客が自炊し、燃料代だけ払うしくみの宿)として創業しました。当時は、交通が不便だったので、伊香保に住んでいる人が自分が持っている家を、お客様に宿として提供する形をとっていました。当時の伊香保の宿名簿が家にも残っていました。

▲明治15年発行の上州温泉遊覧記より『温泉宿姓名』のページ 右側上中ほどに『真渕熊造』とあり、当時温泉宿であったことがわかります。


時代の変化に合わせて、下駄屋、植木職人、その後お土産やから民芸屋へと商いの内容を変えていきましたが、15坪というお店の場所は当時から変わっていません。

▲大正5~6年頃 左側の写真は、木賃宿では商いが成り立たず、庭師をしていた初代熊造(写真下中央)と大吉こと二代目熊造(写真下向かって左)と私の祖父にあたる勝一(写真後列左から2番目)

▲昭和30年代 山白屋店内商品

▲昭和30年頃 山白屋店頭 家族写真
学帽姿がわたしの父(敏之) その右が祖父(勝一)

小さいからこその 生き抜く力
民芸山白屋が大切にしたいものとは

先祖が同じような危機を同じ場所で乗り越えている。15坪という小さな規模だからこそ生き抜いていけるのでは。と楽観する気持ちもあります。(氷河期では図体が大きいものは絶滅し、生き残ったのは「数がやたら多い生物」か、「ネズミのように体の小さい生物」だったという話をどこかで聞きました。小さいことが有利となって、命をつなぐこともあるのだなと。)

自分の営みを継続する。続けたい。そして生きていく。創業者であるおじいちゃんは、病気で両足をなくしていました。そういったハンディキャップを持っても木賃宿から下駄屋、そしてお土産屋へと形を変えて生き抜いた。どうして続けてこられたのだろう?途中で投げ出してしまいたくもなった時もあったと思います。しかし、何かしら知恵を働かせてつなぎ続けた。「火事場の馬鹿力」というものが本当にあるのかもしれないと思います。仏壇に手を合わせながら「一体どんな気持ちだったの?」と語りかけています。

元々屋号は「山城屋」だったのですが、おじいちゃんが業種を下駄屋から民芸屋に変えた時に「城」から「白」に漢字を変えました。「山の城」から「まっさらの白」へ。これは再スタートを意味しているのかなと思うのです。

そしてコロナ禍で伊香保くらし泊覧会を実際にやってみて、今改めて思うことは、最終的に人間だなと。みなさんの顔がきちんと見える関係性で一緒になってやっていくことが、今後のお店作り・生きる上でも本当に大切なことだと気付かされました。

聞き手・文:蛭子彩華

蛭子彩華
伊香保くらし泊覧会 実行委員
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事/クリエイティブデザイナー
公益社団法人日本マーケティング協会発行 月刊マーケティングホライズン編集委員

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