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画像認識プログラムを作ってみよう - コラム:アラン・チューリング

 先ほどはチューリング・テストについて説明しましたが、そのチューリング・テストを考案したアラン・チューリングの名が付いた、「チューリング賞」という賞があります。コンピューター技術者のあいだでは、ノーベル賞にも匹敵するほどの、栄誉ある称号です。コンピューター技術者として輝かしい業績を上げたが故に創設された賞ですが、そもそもアラン・チューリングとは、どのような人物だったのでしょうか。
 アラン・チューリングは、1912年、イギリスのロンドンに生まれました。1931年にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学、さらに1938年にはプリンストン大学から数学博士号を取得しています。
第2次世界大戦では、戦争初期において優勢だったドイツ軍が使用していた暗号機、エニグマの暗号文を解読することに成功し、連合軍の勝利に大きく貢献しました。
 戦争が終わると、チューリングは本格的にコンピュータの開発に携わるようになります。1950年には、「計算機構と知能」という論文を発表し、人工知能や認知科学といった分野において活躍しました。
また、チューリングはマラソンを愛し、長距離ランナーとしても優秀でした。
 しかし1954年6月8日、チューリングはマンチェスターの自宅で青酸カリを含んだリンゴを食べて自殺しました。コンピューター技術者として驚くべき業績を上げたチューリングは、41歳の若さで不幸な死を遂げたのです。
自殺の原因は、2年前に同性愛の罪で逮捕されたこと、さらにはスパイとしての嫌疑がかけられていたことだったのではないかとされています。その当時のイギリスでは、同性愛は刑事罰の対象だったのです。

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