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いつもちょっとだけ間に合わない。

台風である。
なので、昨日テレビで放送されていた「海よりもまだ深く」の影響で、さっきまで「歩いても歩いても」をAmazonで観ていた。
私の一番好きな映画だ。

私は、映画は好きだけど、あまり詳しくないので、好きな監督とかいないし、作品だけしか気に止めない方である。

でも、是枝監督の映画の空気感が、たまらなく好きなのだ。

ちなみに、劇中で一番好きなシーンは、
阿部寛さんが演じる、情けない男の良多が、再婚相手の奥さんと息子と、兄の命日で訪れていた実家からバスに乗って帰っているシーン。

実家で、母親と話していた時に、忘れて出てこなかった力士の名前を、ふいに思い出した時に良多が、ぼそっと言うシーンである。

「いつも、ちょっとだけ間に合わない」

この一言を聞く、いや見るために、作品を何度も観てしまうくらい好きだ。

多分、私も間に合わない人間だからだろう。
だから、良多のやるせなさや、不甲斐なさに共感し、切なくなるのだ。

一方、良多の姉一家は、間に合った側である。
だから、親に変に気を使ったりしていないし、自分の生活を一番に考えられるし、自由に堂々としている。
まるで、良多の姉は、私の姉のようでもあるのだ。

私の人生も「ちょっとだけ間に合わない」
いや、大分間に合っていない。

と、ここで、良多は、何に間に合わないと言っているのか?考えてみる。
最初に出てくる答えは、親孝行である。

でも、それだけではないような気もする。
何か一つ間に合った時に見たら、また違う答えが出るような、そんな気もする。

最後に良多は帳尻合わせが出来たのだが、私は、出来ないまま、紋白蝶から黄色い蝶々になってしまうかもしれない。

でも、「歩いても歩いても」を観ると、良くも悪くも、人間らしく生きたいと思えてくるのである。
カッコ悪くてもいい、嫌な部分を隠さなくてもいい。
そして、それを見せられたとき、全て受け入れなくても、良いのだと教えてくれるのだ。

親の老いに気づく瞬間
関係性の変化
非情さ
人を赦すこと
自分の老いを受け入れる時
自分を受け入れること
人を受け入れること

生きていくために、受け入れる。
受け入れながら、生きていく。

私も、間に合わなくてもいい。
せめて、ちょっとだけ間に合わない くらいに生きていきたいと、思うのである。

「歩いても歩いても」

人生は、果てしない。
でも歩いていくことは生きていくことなのだと思う。

と、書いていたら、携帯にエリアメール。
心配である。

なんだかんだいいながら、私はやっぱり生きていきたいのである。

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