見出し画像

始める前にため息を

何も持っていないくせに、すぐリセットをしたくなる癖が、私にはあると思っている。
だから、それを少しでも回避するために、私はよく溜め息を吐く。頭の中をスッキリさせるためだ。

よく溜め息をつくと、幸せが逃げていくとか言われがちだが、私は、それには簡単には頷けない。

だから、私は溜め息をついた誰かに、それを言ったことはない。

なぜなら、溜め息の効能も知っているからだ。

もちろん、口の中に「幸せ」を吸い込んでいたなら、話は別だが。

息を吸ったらはく。当たり前の事である。

そういえば、高野山のお寺で、阿字観という瞑想法を体験したことがある。

空気を吸い込み、「あ、あ、あ」といいながら、「あ」という言葉に自分の中の煩悩を乗せて、外に出し、仏様に浄化していただくというものだ。

もっとも、煩悩だらけだった私は、周りの人たちと一緒に、息を吸い「あ、あ、あ、」と言う、異様な状況に、笑いが込み上げてしまい、ただひたすら笑いそうになるのをこらえることに集中しただけで、ひとつも煩悩を吐き出すことができなかったのだが。

それでも、やっぱり、大きく息をすって、ゆっくり吐くだけで、頭の中がスッキリした記憶がある。

確かに、人前でこれ見よがしに、溜め息をつくのは、どうかとは思うが、それを咎める事は私にできないし、私だって何度かやったことはある。

まあ、大人げないし、相手も嫌な気分になると思うので、やらないほうがいいのだけど。

相手に言い返したりするのが、嫌なときや
言い返す気持ちにならないとき、

溜め息は、便利なのだ。

言葉で言い過ぎると、相手を傷つけたり、自己嫌悪に陥ってしまったり、誤解されてしまう可能性があるからだ。

でも、時には、言葉にして相手に伝えること、
誤解されたら、弁解すること、
傷つけたら、謝罪すること

が必要であり、そうしないから、私にはリセット癖があるのだという事も私は気付いているのだ。

でも、どうしてもできないから、
私は溜め息を吐きながら、前に進んできたのだ。

まるでジブリ映画に出てくる何かの化け物みたいである 笑。

だから、また高野山に行って、今度こそは、笑いという煩悩に打ち勝って、阿字観を少しでも、習得してきたいと思っている。

それまでは、リセットしたくならないくらいに、溜め息を吐いていきたいと思う。

もちろん、人目のないところで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?