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最近、絵を描けなくなった。

最近のことを書きます。

随分と体調は安定しています。相変わらず、天気、気圧、気温などによって、気分の変調はきたすものの、そこまで極端に「落ちる」こともなく、労働をしつつ、何かを作ったりしています。
年明けてから平穏な日々だと思います。特にこの二年間の体調の変質を思えば、特にまことに平穏なことです。

最近は取材記事もアップしました。

しかも音声版を作りました。

取材したのは、ニシザワステイ代表取締役の西澤徹生さんです。

しかしながら、最近、絵はあまり描けなくなってきました。
体調が悪い時は、目の前にあるスケッチブックに、どう風景を描けばいいか、無意識にわかっていたような気がするのです。僕は風景画しか描かない、というか描けないわけで、例えばキャンプに行った時の感触や空気、目の前で見て、感じたこと。散歩に出かけたときの、アスファルトを踏む感触。季節の変わり目に感じる風の冷たさ。晴れなのか、曇りなのか。そういった"自然"をありのまま描けばいい、と思って、毎日一枚は描いていました。手で空気を掴むように、今日はなにを描けばいいか、わかるような、そんな感覚がありました。どんな絵を描けばいいか、どんな色を使えばいいか。その日の体調が導いてくれるような気がしていました。
でも最近、なんか描けないのです。そんな感覚もありません。自然への捉え方が変化したのかもしれません。これは回復の過程なのかもしれないし、僕の意識の変化、変容、かもしれません。
目の前に自然があり、風景があり、それらに呼応するために「描くべきもの」が立ち上がってきて、それを忠実に描いていたような気がします。でも、その感覚が生活と体調が"平穏"になるとともに、消えていっている。そんな感じです。おそらく、自然と僕という個の間に摩擦・・・というか"ズレ"を無意識に認知していたので、僕は絵を書くことで、感覚の"ズレ"を埋め合わせしようとしていたのでしょう。その"ズレ"が回復過程に入ってきている。
そういうことなんじゃあ、ないかと。

まあ、多分、また描きたくなるときが訪れるでしょう。
自然と社会と自分の意識に"ズレ"を感じた時、また「描かねば」と思う瞬間がきっと"やって来る"のだと思います。だから、まあ、焦らず過ごします。

最近描いた絵『浄土寺あたりの公園の木』

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