『サヨク』の馬鹿

 イーズカは元々はサヨクであった。小学校の頃から生徒会長をやり、高校の頃に社会思想やさまざまな運動を知り、当然の問題意識を持った。
 大学は学生運動をやる場所だ、と思っていた。慶応大なんぞに入ったので、あっという間に極左暴力学生になった。

 しかし「内ゲバ」という殺し合いが、新左翼各派の間で凄惨を極めた。
 イーズカも親しい党派はあったが、内ゲバに対処するために地下軍を作った。知った顔の何人かも地下に潜った。
 潜航中の人間を下宿に泊めたこともあったが、すでに「目が死んで」いた。

 こんな無意味な事をやる気は無い、と完全に距離を取った。学内の運動は続けていたが、もはや何のビジョンも無くなった。学生運動全体が、停滞期から消滅期を迎えた。
 新左翼にも見切りをつけて、社会に出た。広告業界に入った。学生時代にナチス研究にハマり、ヒトラーと宣伝大臣ゲッペルスに興味を持ったからである。

 デンツーしかないと思っていたが、新卒時には「ナチスのニュルンベルクの党大会みたいなコトがやりたい」と言って、「とっとと帰れ」と追い返された。

 広告制作会社を何社か渡り歩き、中途でデンツーに入った。当時はメチャクチャではあったが、オモシロイ会社だった。吉田秀雄社長の「電通鬼十則」は今でも大好きである。
 デンツー時代はファッション流通と地方自治体という、好対照なクライアントを担当した。
 広告業界には少ない「文学部・哲学科」出身なので、論理構成が得意でシンポジウムやセミナーは多数手懸けた。
 ファッションは自分自身が好きだったので、「待ってました」という感じである。
 デンツーでは死ぬほど働かされたが、仕事が面白く不満は無かった。「論理大好きな遊び人」として、様々なコトを体験した。

 こんな事をやりながら常に勉強していたし、シンポジウムの仕事など、仕事しながら取材と勉強ができる。ネコに鰹節であった。
 ほぼ体制側で仕事しながら、視点はサヨクだった。しかし日本のサヨクは「新左翼」も含めて大キライである。
 「コイツラは馬鹿だ」と思っている。国会の現状を見れば、サヨクが如何にダメか、が良く分かる。民主党とその末裔など、サヨクと言うのもはばかられる。面汚しでしかない。

 現在の「学術会議問題」など、内閣を倒し自民党を野党に下野させられる絶好のチャンスである。
 しかし「正論しか言わないサヨク」など、すぐにバカにされる。自民党の中にも「良識派」が居る。彼らは安倍やスガの元では何の発言力も無い。
 そんな彼らを抱き込むチャンスなのに、「正しい事実」を指摘しているだけである。そんな事は100年前から分かっている。知らない人間に啓蒙するのは、ほとんど意味がない。そんなことも知らない奴は、しょせん何の役にも立たない。

 自民党では「明日が無い」彼ら彼女らを引きずり込むエサを与えていない。懐が狭すぎる。「国会で与党になろう」という意気込みもビジョンも何もない。アタマが悪いのである。
 麻生太郎やスガをナチスに例えるのも、想像力が貧困だ。ナチスはあの論理の塊のドイツ人を熱狂させて、世界制覇に乗り出した。
 麻生やスガにそんな芸当はできない。役者のレベルが低すぎる。コイツラはカネをバラ蒔いて、そのオコボレを回しているに過ぎない。
 自民党の魅力など、その程度のものでしかない。なのに勝てない野党とはナニモノだろうか?

 1960年頃の運動は、すさまじい大衆運動になった。正しい歴史や権力の不正を知ったから、運動に参加したのではない。運動に参加した方がオモシロそうだから参加したのだ。そうでなければ大衆運動など成立しない。知識や真実などキッカケに過ぎず、その後をけん引する別種のチカラが必要だ。
 今の野党にそんなチカラは無い。バカだからである。新左翼など論外で、その結果消滅した。
 イーズカは「啓蒙運動など無意味で無価値だ」と思っている。もっと情念を揺さぶり、熱気の狂乱に呼び込むチカラが無いと、誰も運動には参加しない。

 「生真面目なバカ」に付き合うほど、生活者はヒマではない。労働運動も同様である。組織率が30%台とは、組合に魅力がない証拠である。
 カネを持った権力者と戦うのに、正論だけで勝てる訳が無い。「あまりフザケタ事を言っていると、殺すぞ」と迫らなくては、敵は変わらない。怖くて夜道が歩けない状況に追い込まなければ、組合運動など無力である。
 だからイーズカは今さら労働運動などヤル気が無い。あの程度の運動など、100年続けても何も変えられない。
 労働運動で意味があるのは「関西生コン労組」くらいしかないであろう。他は明日にでも止めた方が良い。

 革命を目指すなら、暴力組織を作るか乗っ取るしかない。革命は暴力によってしか実現できない。「無血革命」などあり得ない。すぐにカネと権力によって転覆される。

 オメデタイ奴に社会など変えられない。したたかに、ありとあらゆる手段を使い、敵も味方も欺くくらいの悪知恵がないと、結局は途中で全滅する。

 啓蒙主義とは、所詮は「相手の良識に頼る」ことである。そんな甘っちょろいことで社会が変わった試しがない。

 社会を変える、とは、現在の権力者を皆殺しにして、次の権力を打ち立てることだ。現在の権力者には知性も良識も無いからである。


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