イーズカと「作文」との出会い

 それは高校時代に遡る。高校2年の頃、それまでのステディな彼女を振って、クセのありそうな美女に惚れた。
 彼女がクリスチャンだったので、聖書を読破し、遠藤周作などの関連書籍も読み漁った。

 生徒会長を辞めたあとだったので、彼女の所属するJRC(ジャパン・レッド・クロス、日本赤十字)のサークル部室にお邪魔していた。ド派手で大胆な生徒会長を務め、卒業式の送辞では受験に励む卒業生をこき下ろしていた。
 校内随一の長髪で、職員室や校長を敵に回していた。小学生の頃から校内で最も目立つヤツだったので、妹は「あんなお兄ちゃんの妹という目で見られるのはイヤだ」と隣町の高校に進学したくらいだ。

 そんな有名人だったので彼女は警戒したか、殆ど何の反応もしてくれなかった。
 当時の交流手段は手紙である。イーズカは作文は得意なので色々と書き送ったが、まったく返事が来ない。
 当時から「懲りない性格」なので延々と書き送っていた。

 そして卒業して浪人生活に入った。当時は生徒会の書記をやってくれた高身長な後輩とも付き合っていたが、クリスチャンの彼女にも手紙を書き続けていた。
 あまりに反応が無いので別パターンにしようと、親友のSの安下宿の風景を描写して書き送った。

 陽の当たらないジメジメした4畳半の浪人生の下宿である。
 浪人生というものが如何に悲惨で、希望の少ない生活を送っているかを綴った。自分の事ならカッコをつけるが、親友の部屋なのでボロクソに書いた記憶がある。
 そしたら「今回のはオモシロイわ」と返事が来た。ということは他の手紙も一応は読んでくれていたらしい。

 この返事が来て、日本の古典文学の『平中物語』の一節を思い起こした。あるオトコが姫君に惚れて延々と手紙を送り続けるかまったく返事が来ない。
 そこで「せめて読んだかどうかだけでも答えてくれ」と書き送ると、返事が来た。
 ほぼ一文字「見つ(見た)」とだけ書かれていた。

 この一説にイーズカは感動していた。「恋焦がれるとは、このような悲惨を体験しても懲りてはイケナイ」と確信した。
 それからイーズカの手紙は「如何にしてオンナに笑っていただくか」を念頭に書かれている。

 その延長線上にあるのが、この作文である。どんなに重要な哲学課題も、政治問題も、「読まれなくては、何の意味も無い」とエンタテイメントを最優先した。
 実は学生運動も「オンナにモテよう」としてやっていた。しかし鉄パイプで殴り合っていたので「モテる訳」が無い。時代も学生運動に見切りをつけていた。イーズカも見切りをつけた。

 慶応、広告業界、デンツーとずっと美女には事欠かない環境にはいた。しかし「モテない」どころか「論外」であった。
 「激烈」で「攻撃的」なところが、オンナに不安しか与えなかったのかもしれない。哲学者なので、理屈臭くウットーシかったのかもしれない。どこかに「致命的な欠陥」があるのだろうとは思っていたが、「恋愛返品率100%を40年も続ける」とは想像だにしなかった。
 最近は踊り子たちとの付き合いが多いので、さらに美女は増えた。しかし「嫁げない」のである。

 2000年頃に「ブログ」というモノが流行り出した。かれこれ20年ほどは書き続けている。毎日書いているので、当然にも文章は上手くなる。
 しかし世の中には「身を助ける芸」と「身を亡ぼす芸」がある。

 イーズカ作文が婚期を早める方向には作用していないことは、現実が立証している。
 そんなこんなをしているうちに63歳になってしまい、年明けには64歳になる。
 とにかくイーズカは「オンナを口説こうとして作文」している。オトコなど眼中に無い。
 イーズカ作文はすべて、オンナへのラブレターだと言ってもイイ。

 誰か「見つ」とだけでも、返事をくれないものだろうか。


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