日本人の「自信の無さ」と「品位の無さ」

 イーズカは元々、日本人というものが好きではない。はっきり言えば「キライ」だ。
 江戸時代までの日本人は「大好き」である。
 「極東の民」でありながら、独自の文化と品性を持っていた。 

 江戸時代まで、日本を訪れた欧米人は「日本の民度の高さ、と徳性の高さ」に圧倒されていた。特に貧困層のマナーとモラルの高さに感心していたようである。
 江戸時代は鎖国をしていた。しかし、それは断絶した世界では無くて「孤高を保っていた」と言える。江戸幕府も外国貿易を独占しただけで、海外事情には詳しかった。ペリーやハリスを騙していたのだ。

 ただ、幕府は軍事で勝つことが不可能なのは分かっていた。尊王攘夷など絵空事に過ぎない。現実に長州も薩摩も英国などに大敗北している。この2藩は田舎者なので、「負け」を認めたがらない、世界が狭い「どん百姓」である。今でもそうだが、田舎者はモノを知らない。

 この2藩は敗北に懲りて、明治政府では富国強兵を目指した。田舎のバカが考えそうなことである。産業振興はアジアの地では有効だった。しかし日清・日露の戦争で完全に思い上がった。
 コンプレックスの裏返しで、欧米列強の真似をした。南アフリカで「名誉白人」と呼ばれてイイ気になった「世界の田舎者」と同じである。

 イーズカは今でも田舎者が大キライである。農民社会がキライである。まあビンボー臭い、品位と見識が無い。
 それは地域論ではなく、インテリジェンスの問題だ。都会にも「サラリーマン」という「愚かなどん百姓」がゴマンと居る。人に雇われて暮らすことが平気である。
 「オマエらは、下僕としての生活が平気なのか? 」と問いたくなる。でなければ自民党が大多数与党の政治など実現しない。

 江戸時代の農民は、論理で代官や領主を論破していた。現在のサラリーマンに社長に対抗できるヤツが居るだろうか? イーズカには絶無としか思えない。
 サラリーマンは自らを鍛えていない。思想的にも経済的にも自立ができない。いや、みずから放棄している。
 「夢も目標も無い」から、そうなる。「自宅を建てることが、一国一城の主」だと、反吐が出る。そんなモノは目標でも何でもない。ただの「生活ツール」だ。

 家族を養うことは大事業である。反吐が出るような相手にも、アタマを下げる。泣きながら家路につくこともあるだろう。しかし、そんなことは自営業者なら、全員が経験している。その上で「何を求めるか?」が問題だ。

 飲み屋でクダ蒔くのも結構、ゲロの海に沈む夜もあるだろう。しかし「あした」はやって来る。明日のアンタはナニモノになりたいのだ?

 若者には言いたい。「カラダを鍛えておけ。絶望しても這い上がれるだけの体力が必要だ」。40歳を過ぎて体力のない奴は、どんなエラそうな事を言っても、何ひとつ実現できない。

 体力は40歳を過ぎてから、必要になる。


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