『小さな恋のメロディ』

 今朝ユーチューブを点けたら『小さな恋のメロディ』のダイジェスト版をやっていた。
 ああ懐かしい。ちょうど浪人生で東京にやって来た18歳の時に観た。45年前である。

 場所は高田馬場駅前BIG BOXの8階に「ビクター・ミュージック・プラザ」というものがあった。1975年に早稲田予備校で浪人生活を始めたので、京王線「桜上水」駅から毎日通っていた。

 このミュージック・プラザには昔の家具のような巨大なステレオセットが多数並んでいた。好きなLPレコードを借り出して、ヘッドホンで楽しむことが出来た。
 ある時、スペースにイスがセットされ試写会場のようになり『小さな恋のメロディ』が上映された。

 大ヒットしていたので音楽はよく聞いていたが、映画は初めて見た。
 すでに十分にヒネクレていた18歳にも、ココロに響いた。ストーリーは少しばかり陳腐だが、画面が美しくビージーズの音楽が素晴らしかった。
「英国の学校は、なぜあんなにクラシックなのに美しいのか? 」「トレーシー・ハイドが受けているようなダンスのクラスなんかが、あったのか? 日本には民謡教室とフォークダンスくらいしかない。」「学校の制服が、詰襟の学生服とセーラー服というのはダサい。」と、不満ばかりが募った。

 一年後、無事に慶応大学に入学し、学生運動で暴力学生の最先頭を走ることになった。
 時代としては、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が流行り、大学生にはドゥービー・ブラザーズあたりがウケていた。
 人前で「カーペンターズが好きだ」と言えないように、「『小さな恋のメロディ』に涙した」などとは口が裂けても言えなかった。

 「通ぶる」というか「格好つける」必要があった。この感覚は大事だと思う。全員が「現時点で好きなモノ、を認め合う」と、発展というモノが無くなる。
 時代の雰囲気として、映画もアメリカン・ニューシネマのようなハッピーエンドではなく、陰々滅々たるエンディングが幅を利かせていた。

 この頃の映画や本は、今ではもうカラダが受け付けない。不自然で疲れるのだ。
 ニュージャーマン・シネマが好きで、ドイツ文化センターに行っては3本立てなど観ていた。今では勘弁してほしい。

 当時でも耐えがたいモノがあった。『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』というタイトルだけで腰が引ける。
 室内劇を映画で観ているようなもので、登場人物は4人のみ。ひとつの部屋で、延々と会話が交わされる。明るい屋外に出ることなど一度も無い。
 カタルシスがゼロである。
 約2時間半が拷問のようだった。その次の作品が『三姉妹』という美女が出てくる映画だったので耐えたが、「映画で、哲学なんぞはしたくない」と心底から思った。

 さすがの「ドイツ映画マニア」のイーズカも辟易とした。

 この『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と、『小さな恋のメロディ』は、大学時代に観た映画の相反する両極端として記憶に刻まれている。


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