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第六十一話 ツバメの罪とカラスの罰


チュルチュルチュルと啼くツバメは愛らしく、無垢で、何の瑕疵もない。ツバメと人間の間には鵜と鵜匠、伝書鳩と人間のような親密な関係は見当たらないけれど、日がな一日、畑を荒らす害虫を食べてくれる。人間の味方だ。
ツバメのスッ、スッと飛ぶ姿を見ていると、大空に文字を書いているような錯覚を覚える。ツバメは空飛ぶ燕尾服を着た紳士だ。空に飛ぶ鳥をアルファベットのV字に見立てて詩作した独逸の作家もいた。彼の鳥は尾に白い帯をしたイワツバメか、はたまた巣を食材として人間に採られてしまう悲しいアマツバメか。
家が汚れるからと、ツバメが軒に巣を架けることを嫌う家もある。しかし、ツバメが巣を架けた家には幸運がもたらされると云う言い伝えもある。そのツバメが我が家の軒に巣を架けなくなった。カラスや蛇、猫などの襲撃、子どもたちの悪戯でもあったのだろうか。
それまで春と秋の二回、必ず来て、卵を孵化させていたのに。何か不吉なことでも起きるのか。ツバメは南の島からやってきて、何を告げようとしているのか。危機を伝えようとしているのか。何の危機なのか。家の災難か。人への警告か。江戸の三大大火のひとつである「文化の大火」の際には、その年の春にツバメが巣を架けなかったという話もある。火事を予測して巣を作らないでいたのだろうか。
最近のツバメは家に巣を架けないで、公共の建造物(駅や公民館など)のように堅固なものには架けている。
「地震などの災厄が近づいているのかも知れない」
などと思っている所に、ある日、空き巣に入られ、貴重品や現金などを持っていかれてしまった。ツバメが警告しようとしたのは、このことなのか。
そんなことを考えていると、電柱でカラスがカァと鳴いた。
カラスは知ってのとおり賢く、勤勉だ。そして常に創意工夫を凝らすことを慣わしとしていた。例えば、今日作った評価の高かったものでも、誰に言われるまでもなく、改良の余地を探り、より好いものへと仕上げていった。
またカラスは相互監視の習性があった。お互い黒一色であるから、少しでも突然変異で色の変わったものなどが出現すると、寄ってたかって虐めた。
実はカラスの雄と雌とでは微妙に色が違う。しかし、人間の眼では識別できないだけなのだ。外観がそうであることからも窺えるように、どのカラスの内面も画一的な考えで占められていた。ちょっとでも個性的な意見や独自の考えを持っていると、途端に仲間から攻撃をされた。それ故、行住坐臥、互いの顔色を窺い、常に他人の視線を気にかけ、相手の意見に同調するようになっていった。そのせいか、一旦事が起こると、一糸乱れぬ行動を採り、ルールを外すものは皆無だった。
その年の梅雨は長引き、曇天が続く毎日にカラスの気もふたぎ、虫の居場所が悪かった。それに昨今のツバメの評判にもカラスは内心忸怩たるものがあった。
そこでカラスは自分が神の使者と祭られていることを想い出した。
「そうだ俺たちはそもそも神聖な存在として人々に崇められていたんじゃなかったんだっけ」
カラスは神の使いとして八咫烏と呼ばれ、嘗て尊崇の念を持たれていたことを想い出した。
そして「神の遣いなら多少のことは大目に見てもらえるだろう」という甘い考えが浮かんだ。
ある時、邪気を持て余した一匹のカラスがその立場を利用して、何を思ったか神社の参道の蝋燭を咥えて紙垂を燃やしてしまった。
「たかが紙が燃えただけではないか。それにしても人間たちのあの慌て様はどうだ」
慌てふためく人間の様子が面白くて悪戯をしてしまったのだろう。例え出来心だとしても、放火と殺人は人の世ならずとも重罪である。カラスの世界とてもその例外ではなかったのだ。
当初、火は雷などの自然災害に依ってもたらされたものか、漏電などによる不可抗力の失火ではないかと考えられ、それで事は済もうとしていた。しかし、防犯カメラに映った映像には思いもよらない犯人が映し出されていた。正真正銘、カラスの仕業だったのだ。せっかく人間が飾った紙垂を、その信仰心を嘲笑うかのように蝋燭を咥えて燃やして歩く。人々の間に神聖な行為を汚されたという怒りがふつふつと沸きあがった。人々は当のカラスを捜し始めた。しかし、黒一色のカラスの中から犯人を探し当てるのは至難の業だった。
この様子を観た件のカラスは人々の対応を嘲笑った。そして図に乗り、再び火の点いた蝋燭を咥えて飛び回り、今度はあろうことか永く鎮守の森を守護してきた御神木の杉の巨木を燃やしてしまったのだ。その時、杉の火の粉が身体に降りかかり、カラスの黒い羽根に点々と焦げ目が付いてしまった。
カラスの雄と雌の体色は黒とは云っても多少違う。実は放火をしたカラスは誰有ろう雄だったのだ。それ以来、雄のカラスの色は、黒は黒でも焦げたような黒色になっている。だが、人間の眼にその微妙な差異が識別できないことは云うまでもない。


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