見出し画像

第六十話 名刺の行方


思わず目を凝らしたのは、手錠を嵌められ、両脇を刑事に固められ、空港のロビーを引き立てられていく男に何処か見覚えがあったからだ。昼食どきにもかかわらず閑散としたラーメン店のテレビは昼のニュースを流していた。唖然とし、目を疑った。しかし、テレビ画面に映し出されたのは、日焼けして、幾分ほっそりしたとはいえ、紛れもなくYさんその人だった。
Yさんと初めて会ったのは、今から十年以上前になる。夏の暑い盛りだった。その頃、私は文学部の仏文科に在籍し、文芸サークルに所属していた。大手の文芸誌に何度投稿しても採用されず、そろそろ小説家になる夢を諦めかけていた頃、OB会でお会いした。
Yさんは物流会社のS社に勤務していた。私とは文芸サークルの先輩と後輩の間柄なのだが、文学部ではなく政治経済学部の出身だった。勿論、文学部の仏文や露文の学生は小説家志望が圧倒的に多いのだが、小説家を志しつつも、斜に構えて理工学部や政治経済学部に籍を置く者も少なからずいた。
Yさんとは十年以上歳が離れていたので直接の面識はなく、たまたまサークルのOB会の流れで入った居酒屋で隣り合わせただけだった。酒が入り、酔いが回ってくるにつれ、悪い癖で、私は喋らなくてもいいことまでつい話してしまった。
Yさんは初対面の後輩の愚痴を受け止め、「今すぐに芽が出ないからといって諦めずに、気長に構えたらどうか。コピーライターという文章を書いて身を立てていく仕事がある」ことを教えてくれた。新聞社で記者になるか、出版社で編集者になるという選択も考えないではなかったが、そこに進むと意志の弱い私なので、一生を記者や編集者で過ごしてしまいそうな気がして、二の足を踏んでいた。
「広告代理店なら、うちの会社に出入りしているのが何社かある。その気になったら紹介してあげるよ」と親切にも言ってくれた。
私はYさんの好意に甘え、紹介していただいた代理店のうちの一社に入社した。しかし五年ほど勤めて独立してしまった。特段、思いつくような不満があったわけではなかった。クライアントもメーカーが多く、金融や情報通信業界と違い、実際に製品が形を為して世の中に出て人々の評価を受ける、広告の手法を駆使してその手伝いをするのが面白かった。ただ、日常に隙間風が吹き込み、人間関係に小さな軋みが生じ、勤め続けるのが苦痛になってきた。飽きただけなのかといわれればその通りだった。
その代理店の主要クライアントを一手に引き受けていた自信もあって、独立したらすぐにでも仕事が舞い込んでくるものだとばかり思っていた。当てが外れたというのか、見通しが甘かったというのか、会社を立ち上げて半年余りは、まったく仕事の依頼がなかった。
そんなときに声をかけてくれたのが、また、Yさんだった。
「細かな仕事で申し訳ないけど、うちの会社の総務部の名刺を作ってくれないか」という依頼だった。既に出入りの制作会社や印刷会社があるだろうに、どこで窮状を聞きつけたのか、わざわざ声をかけてくれた。
ほとほと困っていたときだけに、Yさんの厚意が身に浸みて有難かった。
その気持ちに報いるため、微力ながらも頑張った。
ただ名刺をデザインするだけでなく、名前の上に小さく座右の銘を載せては、と提案したのだ。というのも、社名と肩書、住所に連絡先、それに名前だけでは、その人の存在というか個性が見えてこない。写真を載せたものもあるが、それも芸がない。そこで、一人ひとりに取材して、その人が一番大切にしている言葉を引き出し、ショルダーフレーズとして名前の上に載せることにした。Yさんは私の熱意を過剰に読み込んでくれ、その企画を喜んでくれた。
その後、私の会社はサイトの仕事を中心に、ウェブマーケティングの手法を組み込んだ制作物が好評を博し、順調に業績を伸ばしていった。
そんなYさんをテレビで見かけたのは、菓子メーカーの工場に新製品の生産ラインを撮影しにカメラマンを同行していった暑い夏の昼下がりのことだった。
この七、八年の間に架空取引を繰り返し、会社の金を十億円近く着服し、そのほとんどをキャバ嬢のフィリピ―ナにつぎ込んでしまった、とアナウンサーが伝えていた。
記憶を辿ると、Yさんの名刺には、「則天去私」と載せていたと思う。
「『則天去私』って、どうしてこれを選んだのですか」と、多少の興味を以て訊いてみた。
「君も知ってのとおり、夏目漱石の座右の銘だよ。作品の解釈はさまざまだけど、則天去私と達観したようにみえる漱石が、『夢十夜』のように奔放な想像力を駆使して荒唐無稽な小説を書いた、そこに興味があってね。解脱と煩悩、彼岸と此岸、現と幻、その狭間に佇むかに見える漱石が好きなんだ」と、少年のような眼をして語っていた。
若い頃、多少なりとも小説家への道を志したYさんが、俗も俗、女に貢ぐ金を横領したことに軽いショックを覚えた。
伸びた、味の濃いラーメンをすすりながら、ふと思った。Yさんはあの眼差しのまま、未だに則天去私を座右の銘にしているのだろうか。
「だとしたら・・・」
ラーメンを食べ終わり、勘定を済まそうと入り口に向かった。
店を出ると夏空があの頃と変わらず蒼く、どこまでも広がっていた。そう云えばあのときの名刺、何処に仕舞い忘れたのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?