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友達の日記が読みたい

友達の日記が読みたい。友達の日記にはきっと誰のためでもない、自分のための、嘘のない本当の言葉が詰まっている気がする。ビー玉が光るような、その人にとって本当の言葉がすきだ。そして、日記にはそんなビー玉をたくさん詰められる深度が感じられて、日記という存在もすきだ。だけど、日記のような深度の言葉を人から受け取ることはなかなか難しい。

それは私自身が日記のような深度の言葉をなかなか差し出せないからだ。本当のことを話すのは難しい。空気だけを読んで適当なことを話す方が、本当のことを話すよりつまんないけど楽だ。本当のことを話すには、自分にとって何が本当なのかを考え続けないといけないし、それを言葉にするのは、部屋中に隠されたパズルのピースを探して、全て見つけ終わってからピースを嵌めていくような難しさだ。事実を伝えるだけだから簡単じゃんと言われると立ち止まってほしくなる。何も考えずに全てを事実のまま話すことは、想像以上に人を傷つけるし、ギザギザした過剰な自意識がきっと許さない。そして、事実が自分にとって本当じゃないときもある。

私にとって本当の言葉とは自分の心に従った言葉だ。自分になるべく嘘をつきたくない。難しいけど自分に嘘をつく回数が減るのは、自分のままでいられる回数が増えて、解かれていく感じがする。その時には言えなくても、後から「本当はこんな風に思っていた」と心を見せることができた時は、自分を少しだけキュッと肯定できる。

もっと心で生きたいし自分の言葉で話したい。友達の日記のような深度の言葉を受け取りたい。受け取ることができるくらいに心を見せたい。noteに人に見せられる日記を書くことで、人に見せられる心の領域が広がる気がする。自分にとって何が本当なのかということにも向き合える気がする。

自分にとって本当の言葉が、私が武田穂佳ちゃんの短歌が放つ光に何度も照らされたように、誰かを照らすことができたらいいなと思う。無謀な希望です。私は短歌を書くけど、短歌を書くときにもそんな無謀な希望がある。書くことは怖いし、めっちゃ恥ずかしいし、めっちゃめっちゃたのしい。書くぞ!




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