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「表現とこころ賞」に参加してくれた記事まとめ③

こんばんは。
毎回近日公開予定です。と、さも明日は更新しませんよ感を出していますが、これはあくまでも僕が書けなかった時用の保険なのです。
近日とは明日、すなわち今日公開したって何も問題ないわけです。
これも表現ですね。
え? 違う?

まぁまぁ。
細かいことは気にせず早速今日も行ってみましょう。
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※ナンバリングは前回の続きです。
 敬称略


21、サーシュ/書くことはすべてのはじまり

表現の胎動とも言える記事でした。
心の中に渦巻く感情や思想の原子は、言葉という媒体を通して始めて自分で見て触れることが出来るのでしょう。
そしてそれがネットに広がる時、自分のこころと誰かのこころが繋がっていく。表現には終りがありません。
時間は流れ、歳を重ね、こころの内もまた変わっていきます。
その全てのはじまりはサーシュさんの仰る通り書くことなのだと僕も思います。


22、りとる/声の主

決して具体的な何かを出すこと無く、抽象的な言葉で綴られているエッセイですが、それは確かに現実感のある質量として読み手の内に入り込んできます。言葉は表現やコミュニケーションツールとしてだけではなく自身の心の声を聴いてあげるためのものでもあります。
ここで多くを言及するのは野暮なことなのかもしれません。
揺らぐ心を壊さないためにも、自身の心の声と向き合わなければなりません。りとるさんが紡がれるこれからの文章が、そうであることを望みます。


23、鶴木マキ/曖昧なわたし

記憶というのは本当に曖昧なもので、この前食べたものを思い出せないくせに、ずっと昔のことなのに鮮明に覚えていたりします。
けれどその曖昧さが、作中にあるようにAIなどには出来ないものであり、こころを持つ人間らしさなのかもしれません。
表現とはその瞬間の感情や思考を切り取って形にする側面があります。
それを後から眺めて思い出したり、新しい気持ちが浮かび上がったり。
忘れっぽいということは、循環しているということ。
決して悪いことばかりではないのかなと思います。


24、千鶴/光は影と共にあり、闇は光をもたらす #表現とこころ賞

光が差し込むと、影が生まれます。
とても当たり前で忘れがちですが、それはこころにも勿論当てはまって。
こころが真っ暗に支配されている時、そこには光も確かに存在します。
写真という対象をはっきりと残す表現技法と、書くという心象を形作る表現技法。この2つを持って千鶴さんの表現とは何か、を見事に表現してくれました。
「実体なきものを意識する日々そのもの」と記した千鶴さん。
光と闇、そこから導き出された文章はきっと他の方の指標としても届くでしょう。


25、月の人/ASIAN KUNG-FU GENERATIONとラブソング

アジカン好きな自分としては、どうしても贔屓して感想書いてしまうなあと思ってしまうくらい興味深い内容でした。
ラブソングという視点から語られる、彼らの変遷を辿る文章には月の人さんの確かな愛情がこれでもかという程濃密に詰まっています。
そしてその愛情が決して暴走せず、一歩退いた位置できちんと見守られています。この一歩退くという表現はとても難しいです。
退きすぎれると無味乾燥な評論になりますし、近すぎると今度は読者を置いていっていまします。
この作品はその立ち位置が絶妙に上手いと感じられます。
アジカンに興味がない人でも、読み物として楽しめる出来になっているのではないでしょうか。


26、宮咲アンナ/私の心の奥の夢を言葉で表現すると、常識外れな夢物語と笑われるかもしれないけれど〜👩‍❤️‍💋‍👩f

夢というのはこころの中にしまっているだけでは、叶わないのかもしれません。夢は思考の一種だと捉えています。言葉での表現とはその思考を形作る手段です。どんなに荒唐無稽であっても表現しなければ、それは誰の元へも届きません。宮咲さんが語られる理想はともすれば困難なもののように思えてしまいます。しかし、人は一見到底無理だという夢物語を実現させてきた歴史があります。
理想を叶える過程としては、一番最初のスタートラインかもしれません。
けれど自身が抱く夢や理想を、言葉としてこうして公開してくださったことは立派な表現とこころだと思います。


27、百瀬七海/一瞬の後悔と永遠の恋を想って

文章に柔らかさというものがあるとしたら、きっとこういう文章なのでしょう。書くということの先に忘れられない大切な人のことを想う。
決して鮮やかで美しいだけのものではないはずなのに、一瞬の後悔という言葉の中にこれから先を行くための力強さを感じ取ることが出来ます。
百瀬さんの書くことに対しての自問。その答えは様々に変化するようですが、根底にある原体験は決して失われないでしょう。これから自問することがあり、答えが大きく変わってしまっても、きっと百瀬さんの書くという表現は柔らかいままな気がします。


28、イイブンシンブン/キムタクのイイブン

クスリと笑ってしまうような軽やかな作品です。
目に見えないものというのは非常にやっかいです。賞の名前にあるこころはもちろんですが、作内で述べている同調圧力もその一つ。
それに抗わず、受け入れるということに辿り着くまでには多くの苦しみがあったと想像されます。そんな時に夢に出てくるキムタク。
キムタク=自信の象徴というのが、自分には出てこない驚きの一言でした。
眠る時に見る夢というのは自身が作り出す最高の表現なのかもしれません。
僕の中にも誰か出てきてくれれば嬉しいのですが。


29、siv@xxxx/伝えること、受けとめること。#表現とこころ賞

あの震災から既に9年が経とうとしています。
未だに傷跡が残る被災地に対し、すっかり風化している自分の生活で何が出来るのか再考させてくれました。
表現やこころと、言葉は密接な関係にあります。
しかし近いだけで同じではありません。こころは言葉を超えることが出来ます。実際に体験されたsiv@xxxxさんであれば、きっとこれからも言葉を超えた表現やこころを優しく受け入れられるでしょうし、自分たちもまた表現やこころを受け入れ伝えていくことに努めなければなりません。
読んでいて身が引き締まる作品でした。


30、嶋津 亮太/「ぼく」というデザイン

『世界はデザインでできている』という著書の感想文という切り口でこの作品は始まっています。デザインというのは表現の一つであり、表現とは自身を含め誰かに伝わらなければ意味を成しません。
作内で述べている「答えのない問い」というのは決してクリエイターだけに大切なことではないのでしょう。自身をデザイン(表現)し、形作る過程にはそういった誰からも答えを与えてもらえない問いで溢れています。
世界がデザインでできているように、自分らしさもまた自身をデザイン(表現)することで生まれるのでしょう。
自分は未読ですが、嶋津さんの経験も盛り込まれた本作品は、思わず著書に興味を抱かせるような感想文でした。


はい、というわけで今回も10作品書かせていただきました。
残り23作品。
まだまだ素晴らしい作品が残っています。
まだ明日は年始休みの方も、そうでない方も
素敵な作品で溢れている「表現とこころ賞」を是非覗いてみてください。

その④は近日公開予定です。

貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。