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3年目のラジオ、そして僕にとっての新内眞衣さん


紹介が遅れてすいません。「ただの委員長」という者です。平凡を極めた大学生ですが、よろしくお願いします。

今回、なぜこんな文章を書いているのかというと、もうすぐ僕がラジオに初めてメールを送って3年という月日が経過するからです(3といえば松田宣浩の背番号。よいね)。いいえ、違います。僕がラジオにメールを送るきっかけを作ってくれた新内眞衣さんが「乃木坂46のANN」および「乃木坂46」を卒業されるからです。


1.ラジオとの出会い、そしてなぜ新内眞衣さんを知ったのか

僕がまずラジオに出会ったのは、遡れば小学生の頃まで戻ります。当時、水泳を習っていた僕が、教室の帰りの車で親父の車から流れていた「阿部礼司」をなんとなーく聴いていたのが一番最初にラジオというものを知ったきっかけです。他にも、中学生の時は夜の9時からNHKで「基礎英語」をテキスト片手に学んでいたのも懐かしい思い出ですね。(お陰で英語はほぼクラストップでした。既にラジオに感謝、感謝です)

そして、色々あって故郷の大分県から福岡県の高校に進学。知ってる人が誰もいない環境の中で、毎日もがき続ける日々が高校1年生の始まりから高校3年生で卒業するまで続きました。勉強もダメ、運動もダメ。そんな落ちこぼれの自分にある「転機」が訪れます。

今でも覚えています。2019年7月31日の深夜。当時高3で終業式が終わり、塾では夏季の模試結果が公表された時でした。学校では「お前志望校変えた方がいいよ」と担任に言われ、塾では思ってた程成績が伸びておらず絶句したあの日。いつも通り、12時に帰宅し、ご飯とお風呂に入って丁度深夜1時。「もう疲れた、そうだ、ラジオでも聴いて現実から逃げよう。なんだっけ、オールナイトニッポン(以下、ANN)だったっけ?」そうしてウォークマンのラジオのキーを90.2Hzに合わせました。

すると聴こえてきたのは優しい女性の声。「あれ、親父が言ってたANNってこんな番組だったっけ?」と少し懐疑的になりながらOPトークを聴き、タイトルコールを聞いてびっくり。まさか、アイドルが番組やってたなんて!?

その後、3時まで完全にそのラジオの虜になっていた自分がそこにはいました。女性の日常の話。「いるいる女」「妄想あいのり」などのテーマコーナー。内容は忘れてしまったのですが、どれも当時印象に残っていました。そして、一番記憶に残り、覚えているセリフがあります。

「乃木坂46の新内眞衣と検索してみて下さい!(以下、確か続きがあったはずだけど省略)」

次の日の朝、通学中の新幹線(そんなごっつい距離じゃないです。博多南線と調べてみてくださいな。)の中ですぐに調べました。画像を見た瞬間、もう僕の心はここに在らずでした。どタイプの女神様が僕のスマホの前に現れていたからです。

ただし、知ったのは受験期真っ只中の夏。ライブや握手会なんて行けるはずもありません。「いつか、新内さんに会えるように頑張ろう。そして、お礼を言おう。」そう誓って、また受験勉強に励むことが出来ました。もちろん、水曜深夜を楽しみにしながら。


2.大学入学、そして初めてのメール投稿

その後、希望していた大学には行くことができませんでしたが、滑り止めの大学も第一志望と同じぐらい興味があった(ゼミと面白そうな授業があった)ため、進学。一年目は感染症の影響もあり、完全リモートで毎日が進んでいました。

もちろん、僕が思い描いていた大学生活ではありません。リモートで授業を受け、その後バイトに行く。「なんだ、フリーターか。俺は。」少なくとも4月の間はそう思っていました。

そんな中、そういえばradikoに課金してみよう!と思い立ち、4月の末にプレミアムに。最初に聞いたのは気になっていた「アルコ&ピース dc.garage」でした。予想通りの面白さで、火曜日深夜が楽しみになりましたね。

そして、一番僕自身衝撃的な出会いだったのが、「山崎怜奈の誰かに話したかったこと」でした。あのラジオはスピークアップで前日にメールテーマを募集していたため、夜には時間に空きがあった僕は「よし、メールも送ってみよう!」とメールを送るようになりました。

そして、紆余曲折色々あって、初採用の時が訪れます。忘れもしません、昨年の9月15日の「乃木坂46ANN」で参考メールとして紹介されました。内容も内容で(下のメールです)、たまたま大分に帰省していたタイミングだったので、めちゃくちゃ嬉しかったですね(なぜあの日に限ってTFしたのか…笑)。

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それからというもの、聞いている番組にはたまにメールを送るようになりました。今ではもはや生活習慣の一環になってます。


3.初めて見た新内さん、そしてお別れの時

昨年の8月、僕は初めて念願だった乃木坂46のライブに行ってきました。マリンメッセ福岡で開催されたライブのDay1で、席もアリーナでは無かったですが、中央ステージの真ん前という最高の位置。そして、最高の瞬間が訪れました。

確か、2曲目の「ロマンスのスタート」の時でした。僕の周りには新内さん推しはおらず、ラッキーなことに僕のみでした。その前のラジオで「私と目が合った人って、すぐに目を逸らすんだよね〜」と冗談混じりに言っていた新内さん。しっかりタオルを掲げ、サイリウムを振っていると…

わずか数秒でしたが、中央ステージの新内さんと目が合いました。

これは流石の僕も喜びが抑えきれず、帰り道で「俺、新内さんと目が合ったんよ!バリすごくね!」を連呼。友達は呆れていましたが、個人的にはもう眠れないぐらい嬉しかったですね。

その後、東京ドームのライブも当てて、「また新内さんを見ることが出来る!」と意気込んでいたある火曜日、突然の1人での放送、そして「大切なお知らせ」。

そして、その日はやってきました。「乃木坂46を卒業します」

もちろん、悲しかったし、もう少し居てほしかった。それは推しとして当然に思いましたが、それ以上にこれまでの感謝の気持ちが込み上げ、あの日の夜は終始涙が止まりませんでした。そして、ただ1つ、こう思いました。

「新内さんを最後まで最高の形で送り出してあげることが、一個人の推しとしてできる最大限の賛辞だな。」

この思いを持って、東京ドームのライブに行きました。上の席だったので、双眼鏡を使ったりもしましたが、なんと、気球を使って上まで来てくれたので、しっかり見ることができました!もちろん全体にだと思いますが、こちらに手を振ってくれたことは最高の思い出でした。



4.明日、乃木坂46を卒業される新内眞衣さんへ

新内眞衣さん、まずは10年間の乃木坂46での活動、お疲れ様でした。新内さんがいてくれたからこそ、僕はラジオリスナーになり、乃木坂46のファンになれました。これは間違いないです。

そして、大学生活でも、乃木坂46を介して新しい友達ができたり、ラジオを介して新しい友達に出会うことが出来ました。これは完全に予想外のことで(大学生活はずっと1人で過ごすことになると思っていたので)、人間関係の構築は僕が大学生活を始めてからの目標の一つでもあったために、とても嬉しかったです。

最後に1つ。ミーグリ、握手会に行けずに本当にすいません。知ったタイミングが遅かった、そしてタイミングが悪かったということもありますが、いかんせん学業、諸事情で都合が全くと言っていい程合いませんでした。

それでも、1人の新内推しとして、何も後悔を残さずにお別れの言葉を書けているのは、新内さんが大好きで、そして心から生き方を尊敬していたからだと思いますね。もちろん本音を言ってしまえば、寂しいです。先日の「乃木坂工事中」の放送でも「もう新内さんいない。。。」と少し悲しみを覚えました。

でも、30歳になって、乃木坂46を離れることで、様々な選択肢が広がると思います。プライベートのこと。お仕事のこと。また、色んな所で活躍している新内さんを見るのが今から楽しみです!

これが、最後の言葉です。

「ありがとうしか言えない 推させてくれて…」


2/9 2022 



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