リアルを愛することができない我々は。

GABA(英会話スクール)では、
英語以外のこともいろいろ学んでいる。
かなり早いうちにわかったことが1つある。

どの国にも「小難しく考えること」が好きな人がいる。
そしてそういう人は常に少数派である。

人間なんてそんな変わらないよ、当たり前やないかーい
と思う方も多いだろう。
いや~、でも、そのアタリマエを身をもって知っていく
「確認作業」がめちゃくちゃ好きなのです。

私が会ったのは、英国人。「これぞ本に書いてあるような英国人」って思うような人に会ったのだ。ペシミスティックで、アイロニックで、ユーモラス。好きな日本の作家はカワバタ・ヤスナリ。小難しい話(政治とかジェンダーとか歴史とか文学とか)が好きで、いつもレッスンではそんな話をした。

小難しく考えることが好きな人、を探すのは簡単で
好きなものや趣味を聞くだけでだいたい「ああ」、
言葉がちょっと通じれば「ご同族!」となる。

小難しく考えることが好きな人(※以下、コム族と言う。)は、
小難しいことが書いてあるのを読んだり、
小難しい議論をしたりするのが大好きだ。

そしてコム族最大の特徴は、
【現実をそのまま現実と捉えない】
ことだと思う。

コム族が好きな言葉は「概念としての〇〇」である。
「形而上学的に~」という言い方も好きだ。

例えば・・・
私は家電の中で「電子レンジ」が好きなのですが
じゃあ、東芝のなんとかが、とか
パナソニックのかんとかが、とか
そういうことじゃないんです。

私が好きなのは
「概念としての電子レンジ」。

本物の「製品」には、ほぼ興味がないんです。

わかるかなあ、これ!!(いや、わからなくても全然いいんですが…)

電子レンジの「存在価値の仕方がちょうどいいところ」と「佇まい」が好きなの。
電子レンジって、鍋釜みたいに
絶対に必要ってわけじゃないけれど、
とはいえ、都会の暮らしではもはや必需品だと思う。
このちょっと都会感出てるのに、
やることはシンプル(食材の水分を加熱し温める)で、チン!という音もアナログな、その存在の仕方がいいの!


その他、
概念としての スプーン
概念としての 西洋庭園
概念としての メイド服
概念としての 19世紀末
などが好きですね。
というか、たいていのことに「概念としての」をつけたら
好きになれる気がしてくる。

概念としての スポーツ/幾何学/糖質制限/虫…

さあ、あなたもニガテなものを入れて試してみよう!(笑)

コム族とは、現実・実態(リアル)をそのままには愛せない人たちのことである。

なぜならコム族にとって
「ただまるごとそのままなんか好きー!」
という感覚は、あまりにシンプル過ぎて受け入れられないのである。

もっといろいろ考えたい!
そんな簡単な答えじゃないはず!

コム族は常に少数派であるため、
多数派からの「あいつ面倒だな」という迫害を受けがちである。
そしてコム族はますますリアルに背を向ける。
なぜ少数派なのかといえば
コム族が多数派だったら何ひとつ決まらないし、前に進まないからである。
とっくに人間は淘汰されていたであろう。
変化というのは常に、周縁から、イキのいい、異常なやつ(よそ者、若者、バカ者)が来て起こるわけであるから、コム族というのは社会全体の「余剰」みたいな存在なわけです。んなことはコム族もわかっている。なにせ、こういうことを考えるのが大好きだから。

なーんだ、要するに単なる「ひねくれもの」でしょ?

うーん。否定はしない(笑)

でも、そういう人たちが数%はいた方がいいと思うんです。
どこの世界にも。どの組織にも。

全員がシンプルで素直で熱血だったら、
世界はきっと単純でわかりやすいけれど
耐え難い場所になっているような気がする。
退屈で耐えがたいか、暴力と格差で耐えがたいかはわからないけれど。

でもコム族がいれば、
小難しいことをみなさんの代わりに
いろいろ考えてぶつぶつ言ってくれる。
そしてたまに、シンプルマジョリティが見落としていたものが見えてくる。

どっちの人も必要なんです。たぶん。

でもシンプルマジョリティに対するコム族の割合は数%でいい。
村上ハルキ言うところの
“カレーライスに対する福神漬け”くらいの割合で、いるのが自然だと思うんですけどね。

あなたはコム族ですか? ですよね。
コム族はコム族を惹きつける。
このnoteを読んでくださっている時点で、
立派な「コム族」。
コム族は生まれながらにしてコム族であり
かつ一生治りませんので
これからも福神漬け的コム道を謳歌しましょう!

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m