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政治はコロナに飽きたのか(2020.6.15)

緊急事態宣言が解除され、
東京だけは「東京アラート」という(謎の)状況もあったがそれも解除、
もうすぐ夜の接待を伴う飲食店もライブハウスも「対策」を取った上で営業ができるようになるようです。演劇の小劇場も。
営業ができるようになることと、観客や売上が以前の水準まで戻るかは全く別だが、それでも「以前の日常」はすぐそこまで戻りつつある。

だがまてしばし。(©『有頂天家族』(森見登美彦・著))

▼「にぎわい」が戻って嬉しいか

朝夕の電車
繁華街
レジャー施設
飲食店、居酒屋
にぎわいが戻りつつある。

こないだまで閑古鳥だった近所のショッピングモールにも、家族連れがわんさかいた。小さな子どもと出かける場所が増えることは親御さんにとってはめちゃくちゃありがたいし、大事なことだし、どの子もとってもうれしそうであった。友人か親戚同士なのか、久しぶりに会えて笑顔を見せる団体もあった。うん。

でも・・・私はそれを「喜ばしいことだ」と素直に感じることができなかった。さすがに自分でも「え、ヒトデナシ?」と思った・・・が、「はいヒトデナシでーす」で終わってたらnoteにならないので、ちょっと考えてみる。

私が戻したい日常は

・友人と自由に直接対面で会える
・自由にどこへでも移動できる
・居酒屋やカラオケに行ける
・人目(自粛ポリス、清潔ポリス)を気にしない
・映画館、美術館、劇場に行ける

であった。

しかしこれらを戻すと、「満員電車」とか「人込み」もセットになってついてくるのだ。

人間ぎらいを気取るつもりはないが(究極にダサい)、
この3ヶ月程のコロナ感染防止対策が最優先に置かれた生活で、
「混雑ぎらい」には拍車がかかってしまった。

しかしお客さんが来ないとお店の人が困る!!! ”混雑”してもらわないと利益が出ず経済が回らない。
「自分は便利で自由な生活がいいけど、人込みはヤダ☆」
などという「自己チュー精神」はダメである。うーむ。

▼で、当局は何もする気ない・・・のか?

私の自己チューな考えを反省したところで、それでも不思議でしょうがないのは、「あたらしい生活様式」という言葉が国民に周知され、国民が熟知しているといえるか? いやいや程遠い状態だということです。(国と自治体混在させてしゃべってますが、基本的には国と「東京都」です。)

「三密を避ける」「熱が出てから四日は受診できない(※現在は、つらい時はすぐ地域ごとの案内に従ってお電話を!に変わりました)」というコトバは、国民の耳に沁みこまされたのにー。

国と東京都は、もうこの病気をどうこうすること自体に興味がないのかな。

国はこの3ヶ月の「対応」の是非を振り返るという考えもないようだし(発言録を作成しないことで決着)。
▼国も東京都もその後の経済回復(&五輪?)を最優先にしたい。
▼どう経済を「開いて」「元に戻す」かがとにかく大事。

・・・というメッセージだと受け取ったよ。もちろん個人の曲解かもしれない。でもそう受け取っちゃいましたよ。

だって、「2m」をずっと保ちながら生活するなんて全然現実的じゃない。すでに立錐の余地もない満員電車が復活している。
マスクつけない人も増えてきた。今は暑いし、黙ってるならマスクつけないのはまだわかるとして、マスクしないでクシャミする(こういうのは必ず男性)のは、どういうことなんだ。

思うに、当局は「あたらしい生活様式」を周知する気がないんだと思う。
本当に徹底してほしかったら、ガンガンCM流して告知するはずだ。

欧米に比べると日本は、意外と死亡率が低かったので
「感染防止」はそれほど頑張らなくてもいい
(ほとんどの人は無症状あるいは軽症で済むから)
と思っているのではないですか・・・?

疫学的に感染が増えてももういいです、OKというなら
ちゃんとそう言ってほしい。

感染者数が報告されるけど、それって検査で「陽性」だった人の数という意味にすぎないんですよね? そのうちの「無症状」「軽症」「重症」の割合がわからない。陽性でも無症状の人も多いと聞く。であれば、「感染者数」だけ聞かされて一喜一憂してもしょうがない。重症化率が高くなってないかだけ教えてくれればいい。

何を恐れればいいのかわからない状態でい続けるには限界がある。

▼夜の街の病気???

この2日間、東京は感染者が40人台だ。経路が判明したのは、ホストクラブ関連と院内感染らしいが、じゃあ、コロナってホストクラブに行かなきゃ、もううつらないんですかね? 

夜の街の病気、という矮小化したイメージが広がっていきそうな気がする。現に私はもうそういう印象を抱いています・・・。歌舞伎町行かなければうつらない? そんなことはない! (それにしてもホストクラブってどんな濃厚接触しているんだろ・・・シャンパンコールとか掛けるから飛沫が飛ぶのかな??←行ったことないので完全な妄想)(もちろん感染対策している水商売のお店もちゃんとあると思います)

現在わかっている知見が、確たる場所から発表されない。各研究者がてんでバラバラに情報を公開し、国民はネットで自力で正しい情報までたどりつかないといけない。それは・・・・まあそれはこの情報社会の中である意味当たり前のことなのかもしれないけど、じゃあ、リーダーの仕事て何すか?と思う。私はギリギリ、ネットできるけど、シニア世代はワイドショーと新聞しか見ないよ! それにみんな忙しいんだから、一人一人で探し当てに行かなくても、当局が一か所にまとめてくれたらいいのでは?(だって一人一人が毎日10分それに使ってたら、単純計算で何時間が奪われるんですか?) そのための専門家機関とか諮問委員会ではないの・・・か・・・? 求めすぎてるボク?(©及川光博) 

▼水に流す文化

日本には「水に流す」という、大変うつくしい発想がある。
きれいな水が豊富にあるこの国では、どんなケガレでも「禊(みそぎ)」できる。みそげる。

だから、おそらく「コロナ大変だったよねー」って言って、忘れる。

第二波がきても「わあ」と思ったまま、それほど対策もできないまま、死亡者が出ても収まるまで特に何もしないのではないか・・・。

これは現場の医療関係者の方やエッセンシャルワーカーの方々のことではなく、国のおおもとを決める「会議体」と、国の空気の話です。

医療の現場ではボロボロになりながら懸命に働いて看病して開発している方がたくさんおられることと思う。でもそのボロボロになった人の警鐘、叫びが、「元に戻りゆく日常」に押し流されている気がする。
誰だって「つらい」ことは忘れたいから。

にぎわう通りを見るとほっとしますね
人に会えるっていいですね
仕事ができるっていいです
ありがたさが分かりました

それも真実です。
自営業の方、お店をやってる方、演劇などの芸術関係、たくさんの「お客さんがいないと成り立たないサービス業」からしたら、とにかく元に戻ってほしいと思っているだろう。
その人たちにはその人たちの真実と生活があって、それを否定する人なんていない。私だって早く居酒屋やバーに行きたい、生で演劇やダンスが見たい、ライブに行きたい。

でも、このコロナ禍で得た様々な気づき、悲しみ、後悔や反省、政治について考えた時間・・・まで忘れ去られそうな気がする。


▼かくいう私も

ご立派なこと書いてるけど、私なんてこのコロナ禍で何ひとつ世界において有意義なことはしていない。ただ何もせず家にいただけである。
ステイホームで得た唯一のことは「私は日本酒がのめる体質だと判明した、日本酒おいしい」ということだったし(笑)

生活基盤だってお先真っ暗だ。何も見えない。

そして、私は日本について文句ばかり言いながら、それを変えようとはしていない。
どんな風になったら私はこの国に住んでいて良かったと思うんだろう。


私自身変わらなきゃと思う。
でもみんなが忘れちゃいけないこともあると思う。
それを「ひねくれ者」として、ずっとしつこく言い続ける人でありたいと思う。



これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m