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2020.5.14 37日目 仮設の映画館、オーニソガラム

▼からり。暑い。日差し。よく眠れる。9時間くらい眠れる。なんでだろう? 乾燥している日はよく眠れる。

▼ふと、4月の某日に「出勤したか」を確認しようとして、この日記を見返したのだが、見事に「日常」のことなどは書いてなかった・・・心象風景のみ。日記なのに読み返してもその日何したか書いてない(笑) 

本当に私は「行動」に何の興味もない(笑) だからこそ私は実際に「働く」ことにそれほど興味がないんだろうと思う。働いて「何を感じるか考えるか」がめちゃくちゃ大事で、やってる行為そのものについてはあまり・・・。だからその会社を辞めると、仕事でやっていたことはほぼ忘れてしまう。

▼夕方から「仮設の映画館」で「精神0」を見た。自分もドキュメンタリー映像を撮られている最中だから思うが、想田監督ってマジすげえ。自分の作品は、作られた「ドキュメンタリー」(ノンフィクショナルフィクションみたいな)とは一線を画し、「観察映画」と名乗り、厳しいルールを自分で定めている。

私はこれの前作にあたる「精神」(日本では2009年公開)は見ていないのだが、対象は、岡山の田舎町で精神科を続ける山本先生。10年後、82歳の先生は引退を決める。認知症の妻を介護するために。

精神科の先生なので、患者との対話も見ていてなかなか大変。。。ウツと思われる人、少し知的障害があるのかなと思われる人、そして統合失調症と思われる人が突然診療所に現れて、ばーっと喋って、帰っていったりする。。。

印象的だったのが「お茶のしたくをする」というシーン。山本先生の家はごちゃごちゃしていて、先生は湯のみの置き場所とかがあまりわかっていない。お茶の葉もない。おまんじゅうなどを容器に入れるものの、結局、お茶入れることができず、ペットボトルのアクエリアスをグラスにつぐ。その間、妻は何か手伝おうという気持ちはあるのだが、何を用意すればいいかがわからないみたいで、おたまとピーラーを引き出しから出して、不思議そうにしている。それが、冷たくもセンセーショナルでもなく、ただ映し出される。もともと性格の優しい人だったのか、いつも微笑んで、何かささやいている。でもどこか不安そうに見える。めちゃくちゃリアルに伝わってきた。徘徊とか奇声を上げるとかご飯食べたこと忘れるとかじゃない、リアルな認知症。

時々、前作の映像と思われるものがモノクロで挿入されるのだが、妻はしゃっきりしていて、きれいで、てきぱき台所仕事をしている。

認知症になった人と暮らすって、しゃきしゃきだった妻がだんだんこうなっていくというのを間近で見ながら生きていかなければいけないということなんだ。台所でくるくる立ち働いていた妻が、お茶も入れられなくなっていくんて・・・。精神科とはいえ、応えるんじゃないかと思う。普通の人より覚悟はできているとはいえ。

奥様は次に何をすればいいか、〇〇をするために何をすればいいかという「ダンドリ」から分からなくなるみたいだった。全部分からないわけではなくて、一旦部屋の外に出てもちゃんと帰ってこられたりはする。

ほんとに観察で、だから、1つ1つのシーンは、なんていうことのない、というか、ドラマではない「日常」のシーンだ。

患者がひたすら同じ不安を繰り返すのをふんふんと聞く先生、

お寿司をとってお酒を監督に薦める先生、

夫婦でお墓参り。

1つのシーンが結構長くて、1エピソード20分くらいかなあ。でもなんだろうな。だからリアルなんだし、ある程度時間をかけないとわからないことはあるんだろうと思った。できるだけ編集せず、そのまままるごと出すことで、こちらが考える余地のある作品だった。

人間はただ生きているだけで味が出るのか、素材としてすごく良かったのか。

観察、という言葉はどことなく「冷徹」な感じがするが、ところどころ監督の声が入って、それが温かみを添えていた。

岡山弁が心地よかった。

▼散歩の帰りに新しい花を買った。「オーニソガラム」という花らしい。別名「ベツレヘムの星」。すげーな。私が買ったのは黄色い花だが、よくあるのは白らしく、花弁は6枚。地味だけどかれんな花です。

パンデミックの記録_200514_0086

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パンデミックの語源はギリシア語の「パン(全て)+デミア(人々)」に由来する。緊急事態宣言中の記録を中心に、感じたこと考えたことを毎日記録しました。

2020年春、新型コロナウイルスに翻弄された東京都下。”一生活者”としての記録。(下)は5/1~6/10の日記を収録。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m