女は、本当に「生きづらい」のか?(1)

最近、「女が生きづらい」ことを、女性側が言うようになっていると感じる。
※ここでいう性別は「他人から見られる方の性」ということにします。

「母と娘」や「女同士のドロドロ」をテーマに小説を書いたり、
女でいることのビミョーな問題をエッセイにしたり。

こんなこと、昔は酒井順子さんしかやっていなかった。
もっと昔だと、平塚らいてう先生になるんだろうか。
もしかしたら酒井さんの『負け犬の遠吠え』があったから、
女性が「私たちも【女の生きづらさ】を言っていいんだ!」と気づいたのかもしれない。

日本の女性の「生きづらさ」は
中東やアフリカの比ではないのかもしれない。
日本では少なくとも、
女性であっても仕事につくことができるし、
銀行口座だって開設できるし、
選挙権もあるし、
1人で生きていける環境はある。
一応、憲法上で人権は男女平等に保障されている。
でも実感として「生きづらい」のである。
特に物心ついてから30歳になるまで。

しかし、これをそこらへんの男性に言ってもそれは伝わらない。
「女性はレディースデイがあるから得ではないか」(これは弟…)
「男性だってスイーツパラダイス行きたいでも入りづらい」(行けよ)
「むしろ何かあると今の時代すぐセクハラだと言われる」(それはセクハラです)
「結局、男は弱くて女は強いよね!」(牧歌的な帰結)
うーん。全否定はしないが、なんかそういうことじゃないのである。

平塚らいてう先生の頃から比べたら
日本における女性の地位と権利は
格段に向上している。
でも「生きづらい」感じは確実にある。
ということは地位と権利以外のところでの
「生きづらさ」が残っているのだろう。

私はその中の1つに「女性の性的地位」があるんだと思っている。
女性の権利と地位がどんなに向上しても、
性的地位は固定されたままというのが私の実感である。

FBでわりと反響があった自分の文章(抜粋)。

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(2018.8.21)

歳を取るのはブスだって辛い!!
顔面偏差値は当社比だから、
もともとすごく少なかったもの(容色)が、
さらに無くなっていくのは辛い。
男性は髪の毛でお考えください。ね。

でも、ふと気がついた。

こないだ歌舞伎町や池袋を通り抜けたとき、
自分が透明人間になった気がした。
スカウトから一切声がかからなくなったのだ!!!
悲しい?
いいえ。安堵です。安堵。

この日本を動かすオジサン(30歳以上)にとっての女の価値は
とにかく胸のデカさと若さとウブさ
(男の精神的奴隷になれるかどうか)。

大学時代、ダサメガネの私にすら声がかかったのは
若さ(と世間知らずさ)がカネになるから。

そんなフレッシュミート市場で
もう売り物として見られない。
商品価値がない。
それは
「自由」を手にしたってこと!!!

うわーすごい嬉しい(笑)
男の人には絶対にわからないだろう。

どんなブスも20代なら
毎日外に出る度に
採点されてるあのかんじ。
隙あらばそういう目で見られ
冗談として性的な言葉をかけられ
そして、なんかあっても女のせいにされないように気をつけていた日々。
あーいま、思い出してもいやだ。
まあこっちも採点してたけどね(笑)

自分が好意のない異性から好かれないよう気をつけた結果、
自分が好意ありまくりの異性からもまったく好かれない日々(笑)

齢36にして手に入れた自由。
若いブスからただのブスに!
そしてこれからオバサン!!BBA!!!
オバサン最強!!!!!!
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この国に生まれて育つ女は、
物心ついた時(自分の性的自己認識が女だと気づいた時)
から、30歳になるまで、
ずーーーーーーーーーーーーーーーっと、
男性と社会から「性的対象物」としてみなされる。

30になった途端に「性的対象」から外れるため
突然自由になる(あとは自意識の問題だ)。

この問題、もうちょっとしつこく考えます(笑)

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m