ピカソの絵を見て「俺でも描ける」と思うのはナゼなのか(2020.1.21)


ゲルニカ。
泣く女。

いわゆる一般的に「ピカソ」って言って想像する絵のイメージ。
横向きと正面向きの顔が一緒に描かれていたり、
人間?なのに紫とか緑とかカラフルな色使いだったり、
そもそも「誰?てか何?」ってなったり。

で、みなさん、正直に言って
ちょっぴりこう思ったことがあるんじゃないですか?
もしくはこういうこと言っている人に会ったことないですか?

「これなら、描けそう」

念のためですが、
ピカソは実は絵がヘタで、それをカバーするためにあの画風になったのではありません。

もともと少年期より超絶デッサンスキルを持っていて
子供の絵じゃねえわ!!!
というくらい絵が「うまかった」んです。
ピカソの絵を見て、画家だったお父さんが筆を折ったとか
たしかそういう逸話(都市伝説)があったじゃないかな…。

ピカソの「青の時代」とか「薔薇の時代」の絵は「フツーに何が描いてあるかわかる絵」です。その絵を見てる限り、あんな画風になるなんて思いもよりません。

それがなんで、あのラクガキみたいな画風になったのかは
いろんな方が研究して書いてくれてますし、
私もキュビズムとかフォービズムが何なのか
自分でもイマイチ理解してないので、ここでは述べません。

でも、ピカソの絵って「子どもの絵みたい」だと、なんでか私たちは思ってしまう。

私も、ジョアン・ミロの絵見るたびに「ぽいのは描けるかもしれん」と思ったことを告白します(もちろん冗談です)。

いや、絶対に違うんですよ、子供の絵とは。
ミロはわかんないけど(笑) ピカソは子供の絵とは決定的に違う。

絵を描かない人にとって、意識すらしていない大前提の1つに
「見たものを紙の上に具現化できるのすごい」
ということがあると思います。

絵が上手いという褒め言葉に
「絵には見えなーい」
という言葉があるくらい、
実写的、写真みたいな絵がすごい、
という刷り込みがあるんだと思う。

見たまんま写実的に描けることは、確かにすごいスキルです。
私も、西洋の肖像画見るときは、
「わあ服の布地の質感がわかる!」
とか
「襟飾りの細かいレースまでよく描けてるわねえ」
とか、そういう感想になります。

ただ、スキルがすごいのと、絵がすごいのは全然別です。

私の高校時代の美術の先生は、
「見たまんまのことは写真がやってくれるからいいの」
「好きに描けー!」
という趣旨のことをおっしゃっていました。
これは一つの見方を私に与えてくれました。

もちろん、写真にも意図があり
構図やどこに焦点をあてるかで
全然違ったものになることはわかっております。

ただ、絵はもっともっと自由に
描いた人の想像力と
見る人の想像力が
より大きく羽ばたく余地がある。

ちょっと乱暴かもしれませんが、
絵画:演劇的
写真:映画的
といえるかもしれません。
どっちがいい悪いとか優劣とかじゃないですよ。
伝え方と味わい方が違う。

西洋において、写真技術のなかった時代、
(浮世絵とかちょっと次元違うのであくまで西洋)
絵画、特に風景画とか肖像画は、
記録・宣伝・メディアとしての役割を果たしていたことでしょう。

だから、「写実的に描ける」のが「無条件にいいこと(というか必須スキル)」だったと思います。
見たまま描けるのは当たり前、
そのうえで、肖像画なら
どう、その人物を“演出”するか。
ポーズ、衣装、一緒に描くモノ(小道具や背景)。
こういったところが肖像画家の腕の見せ所だったでしょう。
肖像画家は、王侯貴族や富裕商人のために描いてたから、
ちょっと「盛って」描くのが絵を描いて生きていくスキルであり、
多分「ナチュ盛り度」を競っていたんじゃないかと思う(笑)
人の手でsnowしてたってことです。

でも、多分、
「見たまま描くだけじゃつまらなくね?」
「もっと新しい表現したくね?」
と思う人が出てきて
たとえば
「室内じゃなく、戸外の光の下で描いてみようぜ(印象派)」とか
「黄色の点と緑の点をたくさん重ねたら、
 遠くから見ると黄緑に見えるし(手動テレビ=点描)」とか
そういう新しい手法が出まくってきた。

さらに写真とか映画とかが開発され
(ダゲレオタイプが1839年、エジソンがキネトスコープ作ったのが1891年だそうです)
画家たちは大いにびっくりし発奮し、
「そもそも“見る”とか要らねえし」
「紙の上で世界を再構成しちゃうし」(この辺から謎…)
という、俺には世界はこう見えるし、という人たちが出てきて
満を持してピカソ!っていう流れなんじゃないかと思う。

(学芸員、研究者、絵画好きの人すいません…ただの妄想です)

そんな、様々な絵画におけるうねりがあって
最高峰中の最高峰のピカソの絵が
「子供の絵みたい」「簡単に描けそう」っていうのが
原点回帰みたいで面白いなと思う。

ジッサイ、子供の絵とは決定的に違うんだけど、
何が違うか言うのがすごく難しい。

ただ、一つ言えるのは
「思ったように描いてる」ところは共通してるんでしょうね。

2歳くらいの子が描く絵。
見ても何なのかよくわからん、赤と青でぐちゃぐちゃっと丸してある。
聞くと「これはお母さんと犬の花子」みたいな衝撃の答え(笑)
彼らは、精一杯、思った通りに描こうとしている。
ただ、まだ「見たまま」描く技術がまだ伴わないので
私たちから見ると
「似ていない」
「ヘタだなあ」
という感想になる。


で、ピカソ。

写実は完璧にできる。
描こうと思ったら生きているくらい似ている絵も描けたでしょう。
でも彼が求めたのはそういうことじゃなかった。
そういう絵じゃなかった。

「絵は対象に似ていなければならない」という
誰もが無意識に持っている大前提から抜け出して、
本当に「思った通り」に描くことが
どれほど難しく冒険だったことだろうか。
それこそ「子供に戻る」くらい難しく、常人には不可能だったと思う。
知っていることやできることを封印し、
全く新しい表現を生み出すということは…!

もちろんピカソが一人でこういう絵に到達したわけではなく、
先輩たちの冒険と、実験と、くやしさがあって
ピカソが現れたのでしょう。
(新しいことすると叩かれるのが世の常で、
 今では大人気の印象派も、最初に始めた人たちは
 めちゃくちゃ叩かれて、主流派から嫌われたらしい。
 それまでの絵の常識とかけ離れてたから。)

その才能が世界に表出するために
ピカソはその時代に生まれたのかもしれない。

ちなみに私はあらゆる意味で絵は下手です…ちゃんと自覚はありますよ(笑)

ヘタだから描いちゃダメということはないんだけど。
やっぱり、「絵が上手い」人って、憧れるなあ。

自分の絵が描ける人は、なおさら。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m