仕事は必死でするもんじゃない

先日、自分で自分が恐ろしくなることがあった。

今、私は後輩へ、自分の仕事(営業事務)の引継ぎをしている。

後輩は一回り以上年下の、
社会人経験2年目の女性(女子)だ。
後輩ったって、その子が入社した時は、私はまだ入社していなかった(笑)

それはそれは心根のいい子で、
さばけているけど、
ちゃんと先輩も立ててくれて、
お礼もごめんなさいもちゃんと言える
とても素直な子だ。
頭もいい。カンもいい。気働きがきく。
趣味はゲーム(レース系のゲームが得意)っていういまどきの子だ。
(ゲームがいまどきという時点でどうなんだ…私の感覚)

その子に対して
泣くまで説教をやめない自分
というイメージが不意に浮かんできて、
それが離れなくて
とても恐ろしくなった。

「なんで出来ないの?」
「どうしてそういう考え方なの?」って
(実際に言ったことないけど)言っている自分がどうしても消えない。

もちろん実際に彼女が泣くまで説教をしたことは、ない。
業務上のことで注意をしたことはあるが、
それは客観的にみて通常の業務範囲内であり、
彼女はめげずに毎日会社に来ているし、
今日も自分から「教えてください!」と
質問に来てくれたので大丈夫だと思う。
(心の中はどうかわからないが…)

2年目でこの会社しか知らない人に
社会人15年やって培ってきたスキルごと
事務職をまるまる引き継ぐなんて、無謀である。
諸事情によりどうしてもそうせざるを得ず、彼女も納得して始まった。
彼女は相当タフで、私が言ったことをすべてメモ、
吸収しまくり、よくやってくれている。
営業部全員、彼女を応援している。

なのになあ。

最も恐ろしいのは、
私がその説教をしている最中
「これが正しいことだ」
「彼女のためだ」
と思っていることなのである。
いや、実際にはやってないんだけど、
その「イメージ説教」の中で、私は彼女が泣いても止めない。

泣いてるからもっとイジメたくなる、いじわるな感情とも違う。
私は心の底から、
自分のやってることは間違ってない、
ここで泣こうが喚こうが、
ぜったいに私の言うことを聞かせてやる、
それがいいことだ、
と思い込んでいるのである。

なんだろう、この絶対正義、みたいな感覚。
厳しいことが善だ、みたいなこの感じ。

似たような経験がある。
大学の時に、法律討論会の論者になった。
法律討論会についてのくだくだしい説明会は省くが、
要するに法律的な論考のプレゼンターとなって、
その場で質疑応答にもアドリブで回答する。
プレゼン(論考の構成力)と応答力を競う大会だ。

これは大学のサークルの年間行事みたいなもので、
持ち回りで先輩が後輩のチューターをすることになっていた。
その時、ついてくださった男性の先輩が厳しく、
かつ、私がまったく議論についていけず、
「もう怖い、先輩と一緒に練習したくない、無理」と
泣いたことがあった……。

果ては無断で稽古を欠席(子供か)、
しかしずっと逃げているわけにもいかず、
別の先輩やら同輩についてもらって、
本心を話したところ、すごい剣幕で怒られ、
それでまた泣く、、、という
小学生みたいな地獄を表出させたことがあった。
一番地獄だったのは、その先輩以外の先輩の人たちだったろう。
(複数人でチームを組んでくださっていたので……)

その先輩はただ「一生懸命」だっただけだ。

法律討論会は大学対抗の伝統競技で名誉を競うだけ。
チューターやったって一銭の得にもならない。
休みも全部潰して、出来の良くない後輩に教えないといけない。
論考を作るのもほぼ先輩だ。

その先輩は、威圧的な言動をしたり、
「死ね」とか「こんなこともわからないのか」などの
暴言を吐いたこともない。
それらを私は充分わかっていたのだが、
なんだかよくわからない
先輩からの圧(プレッシャー)に耐えかねた。

結局、討論会は「3位」(たしか5~6校中。一応トロフィーがもらえた)
という不甲斐ない成績だったが
とりあえず無事終わり、
ちょっと厳しすぎたかな、と先輩は言ってくれた。
先輩とは別にその後もなんともなかった。
その後、私も学年が上がると法律討論会のチューターをやった。そのチームは優秀だったので、私がなにか怒る必要も全くなかった。

今でも、時々、あの時のことを思い出す。
その時感じた感情とかは忘れてしまったし、先輩のことも一切恨んでない。ただ、「そういうことがあったな」と思いだす。

そして、先輩と同じ立場なら、私もそうするだろうし、「やれません」って言われたら怒るだろうな、と思うのだ。

先輩は必死だっただけだ。

でも、必死だったり切羽詰まったりしている人は、シンプルに、怖い。

芝居の演出をするときや、
仕事のとき、
「ここは必死でいい」んだと思ったりすると
鬼のようになる自分がいる。

年食った女がシワが増えるとか
オバサンが怒っても誰もついてこないよとか
そんな話じゃない。

私は「必死」なのだ。
必死。「必ず死ぬ」。いや、「必ず死ね」と相手にも強要しているのだ

それは情熱とは違う。

だからといって、
間違っているのに「それ違うんじゃない?」と指摘しないのも違う気がする。
それはその人のためにならない。
本当に客観的に見て必要なことをしていない人について
陰で「あの子なんであんなこともできないのかな」
と言ってるくらいなら、面と向かって
「あなた、どうしてこれをしないの」と聞くほうがコスパがいい。
ただ知らないだけかもしれないし、
出来ない事情があるのかもしれない。
いずれにせよ、陰口では本人に伝わらない。
もちろん言い方は気を付けないといけないが、
「言う」ことがまず第一歩だと思う。


「心のゆとり」って、、あっていいもんなんだよなー。

冗談とか。ギャグとか。ダジャレとか。
「すきま」がないと息が詰まる。
仕事ができる人たちは、適宜自分で息をするようにそういうのを挟んでくる。
私はいつもそれを聞いて「何をのんきな」と目くじらを立てていたが、
そういうことじゃないんだなあ。


「バランスよく」とか「余裕」とかいう言葉が
長らく「バカにしてるのか」と思って大嫌いだったが、
それは相手のためにあるんだ。


すぐ必(ず)死(ね)になっちゃうのは
キャパシティが小さいからなんだよなあ。
あ~~もう~~~人間が小さいよ~~~。

「え? 間違えちゃったの? あちゃ~、ま、何とかなるさ!」と
常にアハハと笑ってられるような人になりたい。

ほんとにさ。「人の生死」以外は、なんとかなるんだからさ。

仕事ですぐ死とか考えちゃいかんなー。

これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m