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大吉原展の光と影

1.芸大美術館へ

 先週木曜日(4月11日)の午後、大吉原展を見に東京芸術大学美術館へ行きました(上野の桜は盛りを過ぎていました)。岩崎弥太郎日記を理解するために、遊郭に関する知識を補おうというのが一番の目的です。江戸時代にも遊郭にも以前から興味があったわけではないので、参考になることがあればと思ったわけです。また、喜多川歌麿が好きなので、その展示も楽しみでした。

 入場料二千円。平日午後というのに結構混んでいて、若い観客、それも女性が多いのが印象的でした。美術展は、平日だと(私も含めて)老人会みたいになることが少なくありません。内容豊富で、全部ちゃんと見るには二時間では足りませんでした。

2.遊郭の光と暗闇

 展示は明るく華やかです。観客が見やすいように、展示物が明るい照明の中に置かれるのは、ある意味必然です。また、展示物の大半を占める浮世絵や屏風絵などの絵画の多くも、日光の下にあるかのように明るく描かれています。ですが、舞台は遊郭吉原なのですから、実際には夜の情景であることの方が多いはずです。

 たとえば、吉原の通りを俯瞰した屏風絵の中に、金持ちの得意客を店の紋入りの大きな提灯で先導する情景が描かれています(歌川豊春「新吉原春景図屏風」)。絵の全体が明るく昼間のようなのですが、実際は夜桜見物が描かれているのです。辺りが暗いからこその提灯なのです。街灯などない暗闇の中、周囲の窓明かりが満開の桜をほのかに照らし、歌や弦鼓の音が響いている。そんな夜の情景が描かれていたのです。

 妓楼の中も暗い場所が多かったはずです。宴席は明るくされていたでしょうが、夜が更けるにつれ、廊下に灯された行燈が照らす場所以外は暗闇になったのではないでしょうか。喜多川歌麿「青楼十二時 続 丑の刻」は、そんな深夜に紙燭しそくを持って立つ遊女を描いています。この艶めいた雰囲気の魅力的な女性は、真暗闇の中にいるのだと想像しなくてはなりません。

喜多川歌麿「青楼十二時 続 丑の刻」 シカゴ美術館蔵

 岩崎弥太郎の日記を読んでくれている方はご存じのように、弥太郎は夜の妓楼で、トイレで足を踏み外して足袋を汚したり、庭の池にはまってびしょ濡れになったりしています。長崎丸山だから格別に暗かったわけではなく、吉原でも大して変わらなかったのではないでしょうか。

3.顔を隠して行く場所

 江戸前期の吉原を描いた絵の中に、頭巾や編笠で顔を隠した客の姿をみつけることができます(はなぶさ一蝶「吉原風俗図鑑」など)。高位の武士もいるようです。江戸後期、歌川広重「名所江戸百景 郭中東雲」では、夜明け前のまだ暗い時間、顔が見えにくいように頭巾をかぶった客が見送られる場面が描かれています。風体からして町人のようです。

歌川広重「名所江戸百景 郭中東雲」 Wikipediaより

 長崎に赴任した独身時代の岩崎弥太郎は、故郷土佐から来た下横目(下級の警吏)をはばかって、丸山に行く時に布で顔を蔽うようになり、その後も顔を隠して歩いたという記述が何度も出て来ます。遊びすぎた自覚があったわけですが、遊び半分、通人ぶってそうしたこともあったと思われます。

 江戸も長崎も、単身赴任の武士や旅の商人が集まる男性の多い都市でしたから、遊郭は「不可欠」でした。遊郭は禁じられてはいないものの、「悪場所」とみなされていたわけです。知り合いに見られたくなくて客が顔を隠したのは、逆に言えば、顔を隠してでも行きたかった場所ということになります。吉原の遊女たちがどんなに魅力的に見えたのか、喜多川歌麿の絵が教えてくれます。

4.大吉原展をめぐる葛藤

 この展覧会が華やかな美しい吉原を見せようとしていることは、公式Xの動画を見ると分かります。大吉原展の三千五百円もする豪華カタログも同様です。明るい江戸紫のカバー、表紙に「YOSHIHARA」という銀文字、絵は歌麿「吉原の花」の満開の桜と美しい女性たち。これは客までも女性にしたフィクションの図柄で、華やかさが際立っています(男は出演してもらわなくていい、という一派が江戸時代にもいた証か?)。 

 裏表紙は広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」、妓楼の窓から外を見る猫の後姿。妓楼であることは、描かれた小物から読み取ることができるようですが、分かる人にしか分からず、かわいい猫と富士山の絵にしか見えません(私は分からなかった方)。ところで、大吉原展の公式サイトには、下記の声明が掲載されています。

歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」 Wikipediaより

遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。
主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。

 展示場の入口には、大吉原展の学術顧問を務めた田中優子氏(元法政大学総長)による、同様の趣旨の長い「挨拶」が出ています。しかし、カタログの同氏による巻頭言「吉原という「別世」」では、人権侵害の場であったことに触れられてはいるものの、力点はそこにありません。むしろ、「これまで「日本文化」として扱われて来なかった江戸文化を、改めて共有」し、「権威というものを相対化する」ための展示会であるとして、吉原を文化の発信地として肯定的に押し出しそうとしています。

 ですから、吉原の暗い側面が展示から見えにくいのは意図的だと考えられます。館内にははっぴ姿の女性案内人もいて祝祭的な雰囲気さえ感じさせます。「人権侵害・女性虐待」の場であった吉原を美化するのか、とX(ツイッター)で攻撃した人たちは、展示内容を見ていなかったかもしれません。抗議への対応として、「広報の表現」についてのみ記されているのは、そうした事情を考えないと理解しにくくなります。展示の殆どが吉原の美的な側面に焦点を当てているのは確かだからです。

5.あり得べき「大吉原展」を考える?

 大吉原展に対するクレーム騒動は、しかし余り大きくならずに収束しました。「謝罪文?」を掲示したことより、田中優子氏、東京新聞、テレビ朝日という左寄りコラボ主催であることをクレーム側が理解したことが大きかったのかもしれません。主催者はまさか自分たちが攻撃の対象になると思わなかったようですが、Xは、敵の旗頭(例:遊郭を美化!)を見つけるや間髪入れずに突進する勇者たちの集う戦場ですから、そりゃそうなります。

 カタログ巻頭言で、歌舞伎の展覧会がいくらでも可能であるのに比して、吉原を主題に展覧会は開くのは極めて難しいことだった、と田中氏は示唆しています。暗い側面を前面に出せば祝祭的な雰囲気は消え、観客も少なくなるでしょう。私はこうした展示でとりあえず満足なのですが、どこか平板で物足りない印象もなくはありません。

 というのも、『図説 吉原遊郭のすべて』という吉原をグラフィックに提示した小ぶりなムックの中で、華やかな表側と共に、舞台裏の美的とは言いにくい遊女の姿や、人身売買、堕胎、虐待、性病といった暗黒面も扱っているのを読んで(見て)いたからです。本のデザインが煩雑で、目を背けたくなる画像もあって読みづらいのですが、吉原を立体的に理解するという意味では大吉原展より上でした。

 大吉原展、どうすれば良かったのでしょう? 余計なお世話ですが、勝手に考えてみました。上記『図説……』のように直視しにくい画像をそのまま出してしまうと18歳未満入場不可になって、公的な展覧会にはならないでしょう。私のプランはこうです。会場内に寄り道の展示コーナーを作り、郭の裏側や暗い面を描いた図像を、CGの映像や立体造形を組み合わせて受け入れられる形にし、観たくない人は素通りできる一方、観た人は吉原をより深く理解ができるようになる……と。美的な体験と共に、色々考えさせてくれる展覧会でした。

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