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言文一致と日本語標準形

1.小さくて大きな違い

 言文一致とは話し言葉と書き言葉を一致させることではなく、話し言葉を元にした口語の文体を確立することだった、と前回述べました。今この文章を読んでくれている方は両者の違いを分かっていただけると思いますが、中には、なにが違うの? 小さな違いでは? と感じる人もいるかもしれません。私が言文一致について多くを学んだ野村剛史氏の著書から、明治時代、口語体が確立する前の文章の例を引きます。

ゲンブン イッチ すなはち くち に いふ ことば と もの に かく ことば と おなじやう に かな ばかり にて かく こと と なりて しだいに ガクコウ の をしへ も たやすくなり ……(片山淳吉「かなづかひ を あらためんか、ことば を たださんか」『かなしんぶん』明治19年)

野村剛史『日本語スタンダードの歴史』(書誌は前回参照)

 明治前期には言と文とを一致させようとする様々な試みがなされ、上記のように仮名書きや、中にはローマ字にせよとする主張もありました。もし仮名書きやローマ字が採用されていたら、その後、文学のみならず日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。これは極端な例ですが、口語体を確立する道筋が容易なものでなかったことは察していただけるでしょう。二葉亭四迷による言文一致の優れた文体が高く評価される由縁でもあります。

2.口語体と標準語

「話し言葉を元にした口語体」という場合、この話し言葉は「標準語」を前提としています。その基は首都東京の言葉ではあるものの、「山の手の教育ある人々の言語」であって「べらんめー」の下町言葉ではなく、もちろん東京以外の地域で話される「方言」とは違っていました。「標準語化」は、近代化に成功した多くの国で見られる動きですが、中央集権的な上からの強制として批判されることもあります。

 近代国家が形成される前に植民地支配を受けた地域では、宗主国の言語、英語やスペイン語、フランス語などがエリート層の「共通語」となり、国家形成後も「独自の標準語」が形成されずに複数の言語集団が維持されるケースが見られます。結果、元の支配者の言語を話せない民衆は、エリート層と隔絶され、民衆どうしでも異なる言語集団とのコミュニケーションが難しくなる場合があります。今もそうした難しい状況の国は少なくありません。

 先にあげた野村氏は、東京山の手の言葉が標準語になったのは、それが江戸期に自然に形成された「話し言葉スタンダード」として使われていたからだと述べています。江戸で商売をする上方や伊勢の商人、江戸に集まって来る各地の武士らの交流の中で標準形スタンダードができあがっていったというのです。特に上方商人の言葉はスタンダードの有力な源泉と目されており、となると、つまりは関西弁が後の東京弁的な標準語の土台になったことになり、これはとても興味深い考察です。

3.旅のインフラとしての日本語標準形

 野村氏の論は広く認められた学説とはなっていないようですが、氏の「日本語標準形スタンダードという考え方は私にとって腑に落ちるものでした。岩崎弥太郎日記や他の多くの旅日記を読んで、滞在先や旅先で言葉が通じずに不自由したという場面に殆ど出会わなかったからです。こう話せば通ずるという共通の了解、野村氏の言う標準形があったのだとすると納得できます。

 もちろん方言が分からなくて困ったという記録は、少数ですがあります。そもそも当時は、私的な日記であっても個人の些細な問題について書くことは恥ずかしいと忌避されていたようなのです。日常のトラブルを嬉々として(?)記す弥太郎は、私の知る限り例外中の例外です(今ならSNSでの自虐など当たり前ですが)。

 それでも、江戸期に多くの武士や商人が日本国中を大して不自由することなく行き来できたのは、幕府によって街道が整備されただけでなく、標準形スタンダードが旅の言葉のインフラとして機能するようになっていたからだと考えることができそうです。弥太郎のように江戸に留学したり、上方の商家に奉公した者が後に江戸店に派遣されたり、地方の武士が江戸で勤番を勤めたり、標準形に触れる機会を持った人は少なくなかったはずです。まして旅に出て日記を書くような人なら尚更だったでしょう。

4.職業選択の自由

 野村氏の著書で驚き、また強く共感したことが、別件でもう一つあります。前回にも書きましたが、二葉亭四迷「浮雲」の主題として「職業選択の自由」が挙げられていたことです。主人公内海文三は失業したために恋愛・結婚の道も危うくなります。この作中の成り行きはよく知られていますが、ここで野村氏が、失業は明治期に獲得された「職業選択の自由」の結果だったと指摘していたのです。驚くと共に、我が意を得たように感じました。

 江戸時代の封建制度の下では身分と職業とは不可分であり、生まれつきの身分は変更できないので(原則として)職業は自由意志では選択できませんでした。明治になって四民平等の世の中となり、文三はこの職業選択の自由が失業の自由でもあることを思い知らされ、苦悩します。ところで、近代的な営利企業である会社は、自らの意志による選択で入社した人間で構成されるので、「職業選択の自由」なしには成り立ちません。

 こうした近代的な会社を他に先駆けて作り出し、三菱を企業として成功させたのが岩崎弥太郎でした。弥太郎は、明治の初め、土佐藩の命で弥太郎が主任を務める藩営商会に配属されていた藩士たちに、商会は弥太郎個人に払い下げられたので、今後、自分の部下として商会に残るか、辞めて藩に戻るか自ら決めてほしいと要請しました。これは、「職業選択の自由」が表面化した初めてのケースだっただろうと私は見ています。言文一致について考えていたら、長く続けて来た弥太郎に関する探究と出会ってしまうというまさかの出来事が起こったので、私は驚いたのでした。

5.野村氏の著作を読むなら

 これまで、野村剛史氏の著作を援用しながら書いて来たわけですが、実は自分が正確に理解しているのか少し不安も感じています。野村氏の諸作はやや難解な面があるのです。これは私だけでなく、Amazonにカスタマーレビューを書いている猫町氏も、『日本語「標準形」の歴史』について次のように述べています。

本書はそれなりに面白かったのですが、あえていうと著者の文体が独特な上、本を構成する日本語史にかかわる各テーマやトピックがいくらかバラバラで、一冊の論著としての主張がなんとなくわかりにくいところがあるように思えます。

 もしこれから野村氏の著書を読もうという方がいらっしゃったら、ある程度覚悟を決めて取り組むことをお勧めします。面白い発見があるはずです。

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