数㌢の差を埋める昌子選手の覚悟
移籍会見の時に聞けなかった「世界との数㌢の差を埋めるキッカケを掴めたのか」。
やっとG大阪DF昌子源選手(27)に聞いてきました。
■数㌢の差を埋める〝覚悟〟
18年7月2日、ロシアW杯決勝トーナメント1回戦ベルギー戦。GKのパスから日本ゴールが破られるまで14秒。俗に言う「ロストフの14秒」です。昌子選手は敵陣エリアから全力ダッシュしたにもかかわらず、自陣ゴール前でわずか数㌢ボールに触ることができず、目の前で逆転弾を叩き込まれました。試合後、ピッチを叩いて悔しがる姿は、その悲劇性と喪失感の大きさを物語った印象的なシーンとして取り上げられます。
W杯で感じた「数㌢の差」を埋めるために、19年冬にフランス1部トゥールーズに移籍。
そして1年後、彼はJリーグ復帰を決めました。
この選択に賛否あるのは承知しています。
そんな中、僕は昌子選手の〝ある覚悟〟を感じ取りました。
海外リーグに行くことでしか埋められないと思われがちな差を、Jリーグにいながら埋めてやる-と。
■フランスリーグで得た肌感覚
フランスリーグではフランス代表FWエムバペやアルゼンチン代表MFディマリアら世界に名だたる名手と対峙。「感覚的にはブチ抜かれる事も多かった」と言います。
同時に「単純なフィジカルでは勝てない。事前のポジショニングをどこに取るかとかの感覚を得たのは大きい」
「日本にいるときはボールを奪い切る、相手を止めるというのを考えていた。でもエムバペやディマリアと〝ヨーイドン〟で勝てるかと言われれば世界中を見渡しても勝てる選手は少ない。だからゴールさえ入れさせなければ良い。どれだけちぎられても、抜かれても最後まで食らいついて、格好悪くてもゴールを入れさせなければ良いと思うようになった。そこは考えが変わった」とも口にしました。
搭載エンジンの違う外国人選手相手に、日本製のエンジンでは太刀打ちできない。だったら相手のエンジンを最大出力させない、空ぶかしさせる(=チョコチョコとした嫌がらせなども含む)。
その肌感覚を得たことは収穫です。
■元々なかった海外欲
一方、どこかで海外にいる自分に疑念を持ち続けていたのかもしれません。
これは彼の名誉のために先に記します。
彼は元々、海外欲は強くありませんでした。鹿島担当時代、伸び盛りの昌子選手に何度も尋ねたことがあります。「海外行きたくないの?」。そのたびに「オレは国内向きでしょう」と否定されました。だからフランスに移籍すると知った時は驚きを隠せなかったです。
彼の中では最初から海外リーグが全て、ではなかった。
その認識を強めたのが、フランスでのある日の日常会話だったように思います。
■川島永嗣選手の言葉
「帰国した理由を一つ言い忘れたもんがあったんですよね」
昌子選手が帰国した一番の理由は右足首の負傷。戦列復帰が長引いたことが帰国へと加速させたのは事実ですが、もう一つあったことを明かしてくれました。
それはGK川島永嗣選手と食事に行った際のことでした。
「ヤットさんの話になった時があるんです。その時、エイジくんが〝今はヤットさんみたいに海外組が何なん?みたいなJリーガーがいない〟と言ったんですよね。〝源は海外に来たけど、そっち側の部類だ〟と言われた。自分は当時トゥールーズにいたので〝そうですかね~〟と言っていたけど…今はそう思う。海外でやっている人が成功なのかというと、そうじゃない。行ったから、尚更そう思える」
■遠藤保仁選手の背中を追って
ヤットさん=遠藤保仁選手。
言うまでもないですね。
遠藤選手は海外リーグ経験がないにもかかわらず、国際Aマッチキャップ数は歴代1位。3大会連続でW杯に出場しました。どれだけ海外組が多くなってもレギュラーを明け渡さず。Jリーグだけでプレーし、世界を相手にした唯一無二のプレーヤーです。川島選手は、そんな遠藤選手の凄さを間近で見てきました。だから「ヤットさんみたいとは言わないけど、そういう人が増えて欲しい」とも話したようです。それは昌子選手に向けたものではなかったかもしれませんが、その言葉は彼の胸にストンと落ちてきたのでしょう。
「今回、自分が戻ってきたので、そういう存在になりたい。Jリーグで活躍して代表に入って…。言うたらヤットさんですよね。Jリーグでプレーして〝海外でやっているから何なの?〟という風に代表に入っていきたい。もちろん、海外での経験を還元しつつ、Jリーグで結果を残してね、胸張っていければ良い」
昌子選手も口にしましたが「フランスへの移籍が成功かと言われれば難しいけど、失敗じゃない」と思います。
そして帰国の選択が正解なのか、正解じゃないのかを他者が決めることはできません。
その選択を昌子選手自身が正解にすれば良いだけの話です。
■カタールW杯への覚悟
彼は2年前、ロシアW杯では国内組唯一のレギュラーとして3試合を戦いました。
「あの時はプレッシャーでしたよ。あの書かれ方はすげえ嫌だった。国内組を背負った感じになってもうたし。僕がダメなら国内組がダメだみたい感じは嫌だった」
そう笑いながら、続けました。
「でも次はJリーガーとして世界で戦う。国内組でも世界と戦えることをヤットさんのように示していきたい」
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