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日々と写真,2000年(2)

話が前後しますが、2000年に、初めてまともなデジタルカメラを買いました。富士のFinePis4900Z。ハニカム432万画素。実質は200万画素をちょと切るくらいの画質だったと思う。あと、色が変なことが多かった。このあたりは最近のデジタルカメラは改良されている。ダイナミックレンジも今見るとかなり狭い感じで、どうしても「薄い、軽い」感じの画像が多いように思う。それでもデジタルの利便性は捨てがたく、この頃から、私は写真のほとんどをデジタルカメラで撮るようになっていた。だから撮影カット数だけは無駄に増えている。

実はその前、1998年頃から、友人から借りたChinon ES-1000というカメラで「個人サイト」に写真日記なんかを載せていたのですけれどね、画質が別次元というか、これはもう写真というより画像記録装置なのだと割り切って使っていたというか。

新しいカメラを買ったのは多分10月頃、まあ練習みたいな物だと思って。でも10万くらいした。それでもこの性能が精一杯だったのだろう。

元住吉駅はこの頃ともう全く違う駅になっているという。

当時アヴェちゃんはビックカメラで品出しのアルバイトをしていた。

その2時間後、なぜか私は埼玉県の羽生市に居たわけです。2000年の11月だったかな、この年、「七五三のカメラマン」に応募したんです。明治神宮で、そのお手伝い的なことはやっていたので、場慣れのようなものはしていたので、お客さんの誘導とかそういうのは割と得意で、その点は報酬にも少し反映してもらったみたいだったんですが、それはいいとして、当初予定していたシフト以外に、ある日突然「あそこの現場に入ってくれないか」と相談が来たんです。1回だけですけどね。それがまたえらく遠くて、栃木県の佐野というんです。で、前泊付けてくれて。それで、前の日は作品撮り(というほどでもないが)で、モノクロの6×6とか持って行ったんです。完全に間違えてるって、私。当時、やるんだったら35mmのポジにフィルムスキャナで肩肘張らずに撮っていればよかったんです。いや、もっともそんなことしていたとしても「写真作家になっていたた」という歴史は、まあ、どう考えたって無理だったと思いますけど。

北関東やな~。

それで、まる一日時間があったので、東武線の終点の「葛生」っていうところまで行ってみたんです。駅前からして、多分、昔は栄えていたんだと思う。石灰石が産出しますから。東武線も昔は貨物営業なんかをやっていたんですよ。

廃線跡。

何かの工場見たいのはまだ操業していたみたいで、町の中をダンプカーが走っていました。鉄道で出荷するほど盛況でなかったってことでしょうか。

私、柿って、見るのは好きなんですけど食べるのは苦手なんです。割と。

廃線跡。電柱があるので電気機関車が往来していたんだと思いますが、その昔は蒸気機関車が走っていたそうです。

寂しくない廃線の写真なんて、ないやね。

書道教室?

時々、凄い家とかあるんです。昔は栄えていたんだろうなと。この町。

これ、写真では分からないけれど、近くで見たら、保険会社の事務所の跡でした。つまりこの町だけで保険の営業が成り立っていたという。それだけ栄えていたんだろうなと。

夕方になると、もういたたまれない気持ちになったりするわけです。

その日泊まったビジネスホテル。こういうのも経費で出してくれて、結構嬉しかった。あと、こういう写真って、銀塩時代には撮らなかったと思うんです。フィルム1カット消費して、現像して、プリントして、って、やってらんれない、っていう写真。

宿からの夜景。

このラーメン屋、いや中華料理屋かな?は美味しい買ったです。

朝はそれなりに爽やかでした。

その日の仕事は、5組くらいの七五三の写真を撮って、それだけで終わりで、これで私に払うギャラとか宿代とか交通費とか引くとどうなん?という感じだったんですが、まあ、主催会社側はいろいろおつきあいとかあって、こういうシフトも組まざるを得ないこともあるのだろう。で、撮影が終わって機材の片付けをしていたら、その会場はある神社だったんですけど、撮影後に「お赤飯」をごちそうしてくれたんですよ。結構たっぷり。5組とはいえ撮影すれば疲れますし、お腹も好きますから、嬉しかったですね、というか、地方にはまだこんなにカメラマンを優遇してくれるところもあるのかなんて思ったり。

やあ!

JRの佐野駅は立派でした。駅舎は古いと思うけれど、噴水とか、どういうお金で作ったんだか分かりませんが、ここまで凝ることなかろう、みたいな。

そこから東武線の駅まで歩く。

夕方ってこともあるでしょうけど、何か淋しくなってきた。

医院?何か凄い建物。佐野も、昔はもっと栄えていたんだろうなとか思ったりする訳です。

だんだん日が暮れてきた。早く帰りゃあよかったんですけどね、少し町歩きみたいなこともしてみようかと思ったりしたのですが、なんだか気分が沈んできました。

東武線の駅に着いた。そうしたら、こちらは駅前までも閑散としていたりする訳です。タクシーの色も何か不思議。

時刻表の空きっぷりが何とも。

このあと特急「りょうもう」でささっと帰りました。

このころ私は、川崎の元住吉に住んでいたのですが、少し安心したのを覚えています。手ぶれとか動体ブレとかは、それは、まだ感度が低くて手ぶれ補正のなかった時代のカメラですから。

と、まあ、2000年はこんなこともしていたな、と。あまり面白い話ではなかったかもしれませんね。すみません。

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