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日々と写真,2001年(2)

再び一人になった私は、不動産の撮影とか、あと、大量のデータのスキャニング作業という仕事で神田に通ったりとかしていた。

納期の関係で、初めてデジタルカメラを使って撮った物件写真。「夜景で」という希望だったが、撮ったあと現像所が閉まってしまうので。

あれから17年。もう生活臭も染みついているだろう。

ひなとは別れたが、皮肉なことに、その期間になってから神田珈琲園での2人展が始まった。

ひなは絵画を出品した。

私は、今思うと出来損ないのフォトコラージュを出していた。

日吉駅の風景が出ていると言うことは、DMは綜合写専にも置いたのだろう。

仕事では、こんな写真を撮っていた(テスト撮影)。これなんかは、35mm相当のデジタルカメラで入りきった希有な例。

当時東京の物件写真をデジタルカメラで撮れなかった本当の理由は「画角」だった。35mmフィルムカメラで18mm相当くらいの広角が撮れないと、東京の狭い路地では物件が入りきらない例が多かった。この点では、まだAPS-Cサイズのセンサーを積んでいたためレンズの画角が1.5倍になってしまうD1では失格だったのだ。まだ35mmフルサイズセンサーなんて夢のまた夢だった頃の話。

江ノ電の窮屈な軌道。

ひなと付き合っていたときに、何か具体的な生来が見えた訳ではないが、また「真っ白」になってしまったなという気はした。

鳩。

片瀬江ノ島駅の明るいホームでさえ、淋しく思えてしまう。

不動産撮影の際、途中で出会った犬。犬に吠えられた記憶はない。

あと、これが、当時通っていた神田のデザイン事務所で、ここで広告のスキャニングをして、データベースを作っていた。JavaScriptの仕事もここからいただいた。

大人もな。

不動産撮影は、基本的に徒歩で行った。ただ、東急の田園都市線、大井町線、池上線、目蒲線(当時)など、路線の密集しているあたりが多かったので、違う路線の駅と駅の間を徒歩でショートカットするなど、費用と時間を工夫と体力で節減していた。

猫を撮りながら、ひなの飼っている朔を思い出していたかもしれない。

これはどこだったろう?

路線ショートカットで経費を安くしたりすると、物件と物件の間が0円になる区間とかもあってとにかく複雑なんですけど、そういうきちんとした事務作業が平気だったのは、学校事務職員の名残だったのかもしれない。

猫になりたい。

風邪を引いた。

近所の猫も風邪を引いているようだった。

神田のデザイン事務所に行く途中。

元住吉に桜が咲いた。どうでもよかった。

東横線に特急が走り出したのが、多分この頃。

これもどこだかわからない。不動産の仕事の途中。多分。

不動産撮影の途中、小学校で桜が咲いていて、小学生まで人生をリセットできたとしても、やっぱり私はダメ人間になっていただろうなとは思う。

大崎。

不動産の仕事を一日終えて現像所に持ち込むと、ポジフィルムがこんな感じで仕上がってくる訳です。それを見て、オススメのカットに袋の上から印をしたりして、納品して、一日が終わる。

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