日々と写真,2001年(7)
2001年の7月頃までは不動産物件写真の撮影が多かった。後で分かることだが、この年を最後に、私に依頼を出していた不動産屋は、チラシに銀塩写真をほとんど使わなくなってしまう。完成予想図の方がむしろ綺麗だし、工事中で使えない写真になってしまうリスクもない。それに、流用なので安く付く。写真が欲しければ、28mmくらいの画角が写るデジタルカメラで強引に撮っていい(私は18mmを使っていた)、それで写真撮影費用を削って、1万枚でも2万枚でも多くのチラシを配布したい、と。2001年6月で最大級の住宅ローン減税が終了し、減税額が縮小され、不動産業界は厳しい競争とコスト削減の時代に入っていく。しばらくは勢いのようなものが続いていたのだろう、それが2001年の夏くらいまでだったのだろう。その後私の仕事は急速に減っていった。
ひなは時々元住吉に来た。
広角でないと入りきらない家の例。
千歳烏山。
現像待ち。
駒込。
駒込に「富士神社」があるとは知らなかった。
多分駒込あたり。
ここで普通のカメラマンなら、自家用車を使うとか、一旦駒込駅まで戻るとかするところを、ちょっと歩いてJR駒込→物件→地下鉄本駒込→次の物件、とか歩いて、効率を上げる訳です。
とはいえ、このときの次の物件はどこだったか忘れた。
ここもどこだったか。
ただ、不動産物件撮影が減ったとしても、仕事が皆無になるわけではなかった。神田珈琲園は夏になると「お持ち帰りアイスコーヒー」などを始めた。神田珈琲園のWeb管理は、未だに続いている。
写真を注文してもこれじゃ、不動産屋もかなわないやね。もっとも、よく現状を調べずに発注する方にも問題はあるんじゃないかと思いますけど。
南新宿。
千歳船橋。
松原。
2001年7月7日。私の織り姫に逢いに行く。
「君の好きなプラムを買ったよ」
そして快速に乗る。
そして平日はまた仕事な訳ですが、いくら家が出来上がっていても、これじゃ広告に使えないやね。
永福町。多分。
現像待ち。
桜新町で、奇妙なものを見つけた。
ファンタピーチって、いつの時代?
場所はここです。
桜新町。
どこだか忘れてしまった。東松原あたり?
一番奥の家が指定の物件だったんですが、こうなっちゃうと、広角だって何だって、写真なんて撮りようがない訳です。完成予想図のパースの方が綺麗に見えてしまうわけです。
東松原。
西新宿。
地下鉄大江戸線。駅名は忘れた。西新宿?
これはどこだか思い出せない。
ひなは時々元住吉に来た。家の近くにドトールが出来たので、よく行った。
あるいは私が湯河原に行った。横浜駅でアイスコーヒーを買って。
二階建ての快速に乗って。
もし湯河原に引っ越したら、温泉旅館で働くくらいしか仕事なんてないのかなあ、とか思った。
ひなと海へ行った。海は近かった。
日傘を差したまま海に入ってみたりした。
近くの川では大型犬が泳いでいた。暑い夏だった。
このラーメン屋は美味しかったのだが、今は廃業してしまい、跡は保険代理店になった。
やあ!
単発の仕事ではあったが、古巣からWeb制作の依頼を受けたこともあった。
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