沖縄の基地負担と憲法9条に関するT.T.氏の見解(2023/05/24)

東西対立が厳しさを増す中、日本の占領終了後、憲法9条の制約の下、いかにして日本の安全を確保するか。昭和天皇は米軍が引き続き沖縄を占領することで、日本の安全保障にコミットしてもらうよう、側近を通じ伝えた(1947年)。国民の目があるので、主権はあくまで日本に残し、長期租借という見せかけを整え、強制されたものでないように見せるため、形式も、連合国との講和条約でなく日米の2国間条約とするよう提案した。
 
 
また、マッカーサーも、日本の再軍備を考える本国に対し、沖縄に十分な空軍力を常駐させておけば日本の防衛は可能であり、また、沖縄は米国の外部防衛ラインの重要な要塞となっている、と主張した(48年、飯島注:マッカーサー自ら、新憲法を通じた日本の非武装化という自分の主導した占領政策の正しさを主張する意図もあったか)。
 
 
こうした政治力学の下、沖縄は日本が主権を回復した1952年から72年まで日本から切り離され、国連のシステムである信託統治にもされず、無権利状態のまま米軍の直接統治で米軍の拠点とされた。その後、本土では米軍基地反対運動で撤去や沖縄への移転が進み、米軍基地負担は沖縄に集中。沖縄返還後も、沖縄県民に関わりのない(県民が国政から切り離されている間に締結された)日米安保条約によって基地が根拠づけられた。
 
 
つまり、日米安保条約以前に、敗戦までの統治者であった天皇にとっても、敗戦後の事実上の統治者となったマッカーサーにとっても、9条による本土の非武装と沖縄の軍事要塞化はセットだった。9条のおかげで戦争がなかった、平和だった、とリベラルは言うが、沖縄の犠牲を忘れていると言わざるを得ない。ではこれからどう考えていくか。
 
 
日本の護憲派は、9条のおかげで日本は戦後、これまで戦争しないですんだということだけを言っている。護憲派は9条を守ることをアイデンティティーとしてきた。しかし、その一言一句変わっていない9条の下で、日米安保条約が結ばれ、日米同盟への国民の8割の支持している。自衛隊の琉球諸島南西シフトも止められていない(飯島注:加えていえば、沖縄の米軍基地からはベトナム戦争でもイラク戦争でも兵士が出撃した。日本は直接、戦争に加わってはいないが、米軍基地の提供を通じ、明らかに加担している)。9条を守っているだけではまったく止められていない。9条の文言を守るだけではだめであり、一つ一つ軍事化へ反対の声を上げなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?