なんてったってアイドル

私が本格的にSNSを始めて何年か経った頃、友人から「SNSのアカウントの数は自分の中に潜んでいる人格の数らしいよ」と言われた。彼女はLINEもTwitterもInstagramも、ありのままの「彼女」のみを発信するアカウント、いわゆる本垢を1つずつ使っている、と続けて話した。その時、私は既にInstagramのアカウントを3つ持っていた。Twitterに関しては5つもアカウントを作っていた。
果たして、私の中に一体何人の「自分」が居るんだろう。
そんなことを思いつつ、当時の私は「そうなんだ〜」と当たり障りのない返答をし、今ここでその話を暴露している、というわけ。
「じゃあ私はTwitterのアカウント5つ持ってるから5人格くらいあるのかもね(^_-)-☆」と言えなかった『友人の前での私』と、大して気に止めずサラッと書いてしまった『noteクリエイター:イチとしての私』ではやはり人格が違うのだろう。

そんなの当たり前だ。だって、友人に「推しが尊すぎて死ぬ、墓標立てとこ」みたいな、癖強オタク全開の会話をするのは違うと思っているからだ。そういう話はオタク同士でするから面白いし、興味が無い対象の話を聞かされている方も苦だと思う。これは友人関係だけに言えることではなくて、仕事上の付き合いがある相手、家族同様の深い縁がある相手などでも言える。それぞれの時と場合によって、私の中の「自分」をコロコロ変えていくから、人間関係が潤滑になっているのだと私は思う。

さて、話は変わって、だいすきなアイドルの口から

「自己像」と「理想像」の乖離に苦しむ

と聞いて、胸を痛めないオタクは居ないだろう。

勝手に理想を押し付けてごめんな。

この一言に尽きる。「酔っ払いの介抱が上手そう」とか「彼女に曲書いて送ってそう」とか、メディアというフィルターを通してみただけの相手に、自分の理想像を重ね合わせてきたことを今とても恥じている。
ほんと、好き勝手言うオタクでごめんね。

その一方で、「アイドルなのだから理想像を求めてもいいのでは?」と思う自分もいる。これは私の中のアイドル論によるものだ。

アイドルとは、非常にややこしい職業だなと思う。かっちり決まった業務内容が無い。アイドルを名乗る人間の数だけ、アイドルという仕事が存在しているのだと、私は思っている。アイドルの定義は難しい。

私の中でアイドルとは「万人の理想や希望を常に体現し続ける偶像」である。何とも身勝手な、オメー少しでもアイドルやったことあんのかよ?…なんて批判の声が聞こえてきそうだけど、私は人生の半分以上をだいすきなアイドル(というかジャニーズ)に捧げてきて、色んなアイドルを見てきた結果、このアイドル論が生まれたのだ。私が相当ハチャメチャなことを言ってるのは分かる。でも、アイドルってそういうお仕事だと思うの。今の時代、歌って踊るだけじゃ誰にも振り向いてもらえなくて、演技もバラエティも体を張ったお仕事も個性が出せる特技も必要。だからファンだけではない「万人の理想や希望」を具現化出来るだけのパワーとポテンシャルが大切になってくるんだと。

そして私は、そんな多くの夢を勝手に背負わされた「アイドル」という存在を全肯定出来るオタクでありたい、と思うわけです。

アイドルは、沢山の人の夢を背負って生きていく。これを言い換えると、必要としてくれる人が居なければ、アイドルは生まれない。もっと言い換えると、ファンが求め続ける限り、アイドルは死なない。

だから私はこれからも、アイドルに対して多少の理想像を押し付けると思う。というか、矢花黎に関しては「漫画か?」って思うくらい設定がモリモリなんだよね。まず名前の漢字が珍しくて目を引くものだし、現役音大生で、多種の楽器を操れるマルチプレイヤーだし、楽曲を自作するし、動画編集もする、勿論ジャニーズなので大前提として歌って踊る事が出来るし、グループの特色としてスケートボードに乗れる、そしてジャニーズとしては異色のバンドグループに所属しており、街頭インタビューで地上波出演したこともある……って書き出したらキリがないくらいの情報量になるんだもの、これだけ多才ならアレも出来そうだな〜コレもやってくれそうだな〜って、理想の世界に羽ばたいてしまうのも仕方のないことなんですわ。
ここだけは極力主観を抜いて事実だけを述べたつもりだけど、これを読んでもまだ「理想像」と「自己像」の乖離に苦しんでしまうのだろうか。それでもアイドルを続けてくれて、ありがとう。

と、ここまでアイドルについて書いてきてふと気になった事がある。
何故矢花黎はジャニーズで居続けてくれるのだろうか。
自分(自グループ)のことを"異端"や"異色"と表現し、自らを王道ジャニーズだと思っていない彼が、何故4回もオーディションを受けて、今こうして私たちの前に立ってくれているのだろうか。
私は矢花黎のことをアイドルだと思っているので(これもまた理想像を押し付けているとすれば申し訳ない)、これからも沢山の夢を、出来ることなら他の人では魅せられないような異色の夢を魅せ続けて欲しいと願っている。これは私が矢花黎に求める最大の「理想像」だ。
いつか、矢花黎自身が思うアイドル論を聞いてみたいので、ネタに困った時の参考にでもしてください。

最後に。
もしも私がアイドルだったら、「アイドルの私/理想像」と「ありのままの私/自己像」には差別化を図って切り替えるんだろうなあ、と思っていた(というか実際に仕事中の私と、家での私がまるっきり違う「自分」な)ので、

ナチュラルな面の僕をみなさんの前で見せられるよう

努力したいと書かれていたことが意外でした。私ですらたまにスイッチ切り替えるのをしんどいと思う瞬間があるから、アイドルはもっと大変なんだろうな。

矢花黎自身が思う「自己像」であれ、私が望む「理想像」であれ、どんな矢花黎でも大好きだよ。これだけは忘れないでいてくれよな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?