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国立市・東大、協定調印式の様子(1)

はじめに

記事だけでは、国立市の取り組みに期待感を抱けない人に

 2023年5月29日午後、東京大学本郷キャンパスで、国立市教育委員会と東京大学大学院教育学研究科によるフルインクルーシブ教育事業に関する協定書調印式が行われました。

 私が書いたものを含め、いくつか記事が出ているので、「インクルーシブ教育」に関心のある方は既にご承知のニュースだと思います。

 この「kanaloco」の文字が見えるのは、神奈川新聞・成田洋樹記者が書かれた記事です。成田さんは、後半の「視点」部分(ネットだと有料?)で「こうした動きが他の自治体にも広がれば、自治体レベルで変革の波が生まれる可能性も出てくる」と書かれています。

 私を含め、現場で取材している記者たちにとっては、少なからずそのような期待感を抱かせるような内容の話だったわけです。しかし、もしかしたら記事を読んだだけでは、そのような期待感を抱くまでにいたらないのでは…という気が少ししてきました。逆に「国立市の本気度はどのぐらいなの?」「そもそもインクルーシブ教育をどう理解しているの?」といった疑問を持つ人もいるかもしれない。そんな気もしてきました。

 であれば、協定調印式に出席した国立市教育委員会や東京大学大学院の方々が、実際にどのような話をしたのかを知ってもらうのが手っ取り早い。内容を知った上で、いろいろ考えてもらうのが一番だと思いました。

 幸いなことに、私はともかく、今回の協定調印式の取材に来ていたのは、幅広い知見を持ち、そしてこれまで深い取材をしてきた記者の方ばかりでした。だから、質疑応答のやり取りも「インクルーシブ教育とは何なのか」「どのような課題があるのか」といったことを考える上で、とても重要な内容だったと感じています。

 ということで、前置きが長くなりましたが、協定調印式でのそれぞれの方のあいさつと、その後の記者との質疑応答の様子を伝えたいと思います。随分と長いですが、お付き合いいただけると幸いです。

一応、注意

(この記事は、自分の取材記録として「テープ起こし」したものを元に書いています。いわゆる「全文書き起こし」に近いものではありますが、記事にするために表現を変更した箇所、省略した箇所などがあります。登場される方々が、一字一句この通りに発言したわけではないことにご留意ください。また、おそらくそんなことはないでしょうが、掲載されている記述を報道目的で使うことは禁止です。もし必要があれば、当たり前ですが、それぞれの方に改めて取材してください)

開式あいさつ

小国喜弘・東京大学バリアフリー教育開発研究センター長 「日本全国の教育改革を先導していく機に」


開式のあいさつをする小国教授

 日本の公教育を考えると、不登校は毎年過去最多を更新し続けていますし、いじめの数、子供の自殺の数、これも過去最悪のペースで更新が続いているという状況です。

 それと同じように特別支援教育の対象児童・生徒の数も増加の一途です。少子化にも関わらず、その数の増加の勢いは止まらない。これはやはり、しんどい子供たちが普通学校・普通学級の中にいづらくなっているということの一つの証のようにも思われるわけです。

 こういう状況の中で、国立市教育委員会が「フルインクルーシブ教育」の実現を掲げ、誰もが安心して、普通学校・普通学級で、ともに学べる、その権利を保障しようという取り組みをする。私たちが、そのパートナーとして一緒にその改革の実現をサポートできるというのは、大変ありがたいことだと思っているところです。

 今日のこの協定が、国立市の学校がフルインクルーシブな場へと転換する重要なきっかけとなると同時に、ひいては日本全国の教育改革を先導していくような記念碑的な機になることを祈念しています。


協定書調印後のあいさつ

雨宮和人・国立市教育委員会教育長 「一歩、足を踏み出すことが大事」

協定書を確認する雨宮教育長

 国立市には基本構想というものがあるわけですが、そこでは「人間を大切にする」ということを定めており、今現在もそれは生きています。ずっと生きています。

 障害を持っている方も、市内はすごく狭い地域なんですが、数多くいらっしゃる。そんな中で「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言」という宣言もしています。あるいは、その宣言に基づいた「くにたち市誰もがあたりまえに暮らすまちにするための『しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言』の条例」も持っています。これは障害の方々の権利条約などを批准する中において行われてきました。重度の障害を持つ方々が市内で、地域と共に暮らしていくっていうことに、まちとしてずっと取り組んできたっていう歴史があります。

 その中で、国立では「国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例」をつくり、やはり「多様性を認めていくんだよ」「誰も排除しないんだよ」ということを条例として掲げました。地域社会では、そういう形で障害を持っている方、外国籍の方なども含めて、「多様性を認め合って暮らしていこうよ」というまちづくりが実際進められてきたわけです。

 けれども、一方で、教育の世界に目を転じてみると、「ちょっとそこはどうなんだろう」というのがありました。今の市長に変わったときに、教育大綱の中に「フルインクルーシブ教育を目指すんだ」ということを盛り込みました。「特に学校教育においては、ソーシャル・インクルージョンの理念の下、しょうがいのある子どもや外国にルーツのある子ども、家庭環境や生活上の課題を抱える子ども等を含めた全ての子どもが、共に学び合う中で互いの多様性を認め支え合う教育活動を推進し、諸課題に取り組むことを期待する」というようなことが前文に書かれています。

 そういう状況において、特別支援学級のお子さんたちが、交流活動とか共同活動という形でですね、通常の学級のお子さんと触れ合う機会っていうのはかなり持てていたんだろう、とは思いますけれども、そこから先になかなか足を踏み込めていなかった。

 そうした中、「教育委員会もうちょっと頑張れよ」と市長に言われまして、去年から「国立のフルインクルーシブ教育って何なんだろう」ということについて語り合う会を、地域の方、保護者の方を対象に、また先生方もぜひ参加してくださいという声掛けをした上で、2回行いました。

 まずは、「一歩、足を踏み出すことが大事だ」と思っています。教育というのはどちらかというと「上から降ってきたものをそのまま実現していこう」みたいなところがあると思うのですが、そうではないものに。関西の方で結構進んでいる事例というのがあるとは思うんですけれども、それと同じでいいとは思っていません。「国立ならでは」のものがきっとあるんだろうと思っています。さまざまな方の意見を聞きながら、利害を持ってる方々が対立するということではなくて、お互いを認め合いながら、対話をしながら、「国立のフルインクルーシブ教育って何なんだろう」ということを共に考えていきたい。

 なかなか一朝一夕にはいかないと思います。一定程度、時間はかかるというふうに思っています。けれども、ぜひ、皆さんの知見をお借りしながら「国立のフルインクルーシブって何なんだろう」ということを実現していきたい。

勝野正章・東京大学大学院教育学研究科長 「インクルーシブな知性」の育成を

協定書に判を押す勝野教育学研究科長

 この事業は、国立市におけるフルインクルーシブ教育と本研究科におけるフルインクルーシブ教育の研究、それぞれの推進に大きく寄与するものであり、ひいては、多様性と包摂性が尊重される社会の実現に向けた、重要な第一歩となるものというふうに確信しています。国立市のフルインクルーシブ教育の実現に向けた取り組みについて、雨宮教育長よりお話をいただきましたので、教育学研究科の取り組みについても少しお話をさせていただきます。

 本研究科では、「インクルーシブな知性」というものを育むことを大切にしております。近代の学問は、自然や社会、そして人間自身を緻密に分析をすることを通して発展を遂げてきました。そのような「分析的な知」は技術や産業、医療等の飛躍的発展を可能にして、大きな便益を人間にもたらしました。

 しかしその一方で、人間による地球環境の破壊であるとか、人間や社会の恣意的な分類や序列化といったものをもたらし、異なる取り扱いをしたり多数派とは異なるとされる他者を排除してきた、という負の側面を有しています。

 「インクルーシブな知性」とは、そうした「切り離す知」や「排除の知」を、近代主義や人間中心主義とも言われるものが、自らをここへきて反省的に捉え返し、乗り越えようとするものです。それは決して、ここへきて目新しいというものではないのですけれども、現在の深刻の度を極めている差別や排除に対する感受性、リテラシーは、まさに現代社会における必須の教養と言えるものだと考えています。

 全ての人間の尊厳が尊重され、幸福に生きること。人が人を支配することが許されないように、人間が他の生き物や自然、地球環境を支配するのではなく、共生の道を歩むこと。そうした理念の実現に向けて、小さいことでも日常的なことでも何かしらの行動ができる。そういうインクルーシブな知性を育むということを本研究科では大切にして、目指しております。

 その中心として、研究と教育を日々推進しているのが、バリアフリー教育開発研究センターです。バリアフリー教育開発研究センターは、東京大学が大学全体として目指す方向であるダイバーシティ、インクルージョンの教育を先導し、インクルーシブな社会の実現に向けた知を創出することと社会への発信を積極的に行っています。

 その基本的な考え方は、障害だけに限らず、人種、民族、国籍、宗教、信念、性ジェンダーを巡るマイノリティの生きづらさを社会的、文化的、構造的なバリアという観点から分析し、そうしたバリアを乗り越える政策と実践を、当事者と対話をし、当事者と共有し、さらによりよいものにしていこうというものです。

 このような「当事者と共に」という姿勢は、一昨年、教育学部セイファースペース(KYOSS)を開設したことにも示されております。KYOSSでは、多様なジェンダー、セクシュアリティ、障害、生きづらさに関する当事者性を持った学生の皆さん、教職員の皆さんが、安心して生活できる場所・空間を提供するとともに、日常的な学び合いを通じて、まさにインクルーシブな知がそこで創造されています。

 このたびの教育研究連携事業は、フルインクルーシブ教育の実現という目標に向けて、国立市の教職員研修等に本研究科、バリアフリー教育開発研究センターの研究知見や情報を生かしていただくとともに、本研究科ならびに東京大学におけるインクルーシブな知性の育成に対して国立市にご協力をいただけるものと承知をしています。

 そして、それは、冒頭に述べた通り、国立市、本研究科、東京大学だけにとどまらず、インクルーシブな社会の実現に向けた重要な第一歩となるものと思います。【(2)へ続く】

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