客が減ったのは客しかいないからだ
コロナ5類移行で注目される飲食店の状況ですが,各種報道によるとなかなかに厳しい状況が続いています.各種データも4月時点ではコロナ前よりも2~3割の人流減が続き,飲食店予約状況に至っては半減に近い状況です.それにともって,「夜の街」も業態変化や業態は同じでも提供する価値を変えて行かざるを得なくなるでしょう.
もう一つの変化
先日のエントリでは習慣消費としてのナイトライフに焦点を当てましたが,今日はもう一つのポイント.集団での飲み会の減少についてです.所属組織による濃淡あれど...コロナきっかけで部署全体とかプロジェクトメンバーでの飲み会(イメージとしては10人~30人程度の飲み会)の減少傾向を感じている人は多いでしょう.
少し前までなら,コロナを「気にする度合い」が人によって異なるのでやりにくい……という事情もあったでしょう.しかし,今年度に入ってからも回復が鈍い現状はそれだけでは説明がつかない.
そのなかで,もうひとつの変化として注目したいのが「幹事の減少」です.オフィシャルな周年・会計年の〆パーティー等ではない,なんとなくの部署飲み会が開催されるためには言い出しっぺ・幹事が必要です.
そして飲み会幹事って,感謝されることが少なく,クレーム・文句・冷笑を浴びせられることさえある--要は全然「割にあわない」仕事になりつつある.
ここが微妙な温度感なので注意深く読んでください.まぁ面倒くさい飲み会ってありますよね^^ そして30人で飲み会すれば,そのうち数人は「めんどくせーな」と思いつつ参加しているでしょう.ついでに「おいおい店のチョイスセンスなさ過ぎだろ/参加費高すぎだろ」みたいに感じる人もいるんじゃないかな.
全員が心の底から満足するイベントなんてないんです.今日はあんまよくなかったなーとか思いつつも,付き合いだから/幹事のメンツを立てて/なんとなく...飲み会に行く.そして時には予想外に楽しかったり,新たな収穫・学びがあったりする.まぁ人づきあいなんてそんなもんなんです.
死んでも損をしたくない
しかし,世の中には自分が損をする/不快に感じることに特別に敏感な人がいる.楽しくないかもしれないなら行きたくないという人が.これはどこかゼロリスク信仰とも似ています.そして,楽しくなかったら被害者としての救済を求める.またはクレームのぶつけ先を探し始める.
かつてであれば,このような自分の不満は酒でも飲んで忘れるかせいぜい親しい人に愚痴るもの……だったのがSNSで可視化されたことで,当然の権利主張かのように扱われるようになってきました.
こうなると幹事役を担う気が失せる.私は飲み会やイベント事の幹事好きな方です.学会・研究会などの事務方もわりと引き受ける方だったしね.しかし,コロナ前でも,メンバーとの相互信頼がかなり高い状況でしか幹事役はやらないようになっていました.だって何の得もない上に文句・陰口まで叩かれたらたまんないですもん.
それでもなお,コロナ前には,定例的にやってた部署飲み会だし/まぁ誰かがやらないといけない気がするし……という惰性・慣性で幹事役を担ってきた人たちがいた.しかし,コロナによってこれらの「幹事を引き受ける」という習慣行動を止めた人たちが少なくないのではないかな.飲み会,なかでも中規模飲み会の減少はこの幹事役の困難に由来する部分があるのではないでしょうか.
コスパとタイパ
参加したイベントがつまらなかったとき,確かにコスト・時間の無駄遣いだったと感じることはあるでしょう.だからこそ,楽しいかどうかわからないイベントには参加したくないと考える.このような事前の厳選がコスト・パフォーマンス/タイム・パフォーマンスのよいすごし方だと持ち上げられる傾向さえあります.
しかし,それは「パフォーマンス」「成果」を誤解している.リスク最小化を最優先することは長期的なパフォーマンス・成果を低下させます.
そういえば私が大学教員になってはや20年.個人的な経験からの判断でしかありませんが……なんだかよくわからないイベント・企画を紹介したときに「ひとまず行ってみる」という選択をとる学生は後々伸びる.大学院のアウトリーチイベントとか,地域おこし協力隊の人の体験談を聞く企画とか,飯田が歴史作家とトークイベントするとか笑
そういうのになんとなく行ってみて(大抵はつまらないけど)また暇なときは行ってみる...というタイプの学生は社会人になって(成功かどうかはわからないけど)仕事を楽しんでいたり,趣味を充実させていたりする.
(一方で,参加必須とか単位と関連するとか……確実な便益が示されない活動には参加しないという学生は,そもそも卒業後つき合いがなくなるのでよくわかんない.その意味で↑は生存バイアス強い経験談であることもお含み置きを)
事前に確実に面白いとわかっているもの.例えば浦安のテーマパークのような施設もあります.しかし,浦安ネズミーランドは確実に楽しいかわりに「予想をはるかに超えるとんでもない楽しいこと」にも出会わない.一方で,知らない街に無意味にドライブに行って街道脇のぼろいラーメン屋で半チャーハンラーメンを頼むと……ほぼ確実にまずいかわり,稀にすごい美味しいとか,むしろ酷すぎて後々の持ちネタになるなどの宝物を得ることが出来る.リスクがないところにリターンはありません.
タイパもコスパも……そのリスクとリターンを踏まえて比較検討しなければいけない.リスクをとらないことが高パフォーマンスというわけではないのだよ.
みんなが「お客さま」
このような損をしたくない/不快に感じたら弁済してほしい……か少なくともクレーム先が欲しい……ってなんだか悪い意味での「お客様感覚」なんだよね.
学生を見ていても,例えば,ゼミで合宿に行くとき.学生のタイプがはっきり分かれる.
a) どうやったらメンバーを楽しませられるか,またはなんとか自分にとって楽しいイベントにしてやろうと考え,動く人
b) 人の企画に従って動く人
これは大人社会でも同じでしょう.そしてタイプbはさらに2つに分かれる.
b1) 人任せだし,特に文句も言わない
b2) 注文と文句は言う
タイプb1)はそれはそれでいいんですよ.性格もあるし,組織の中で階層が低いと自分から動くわけにはいかないこともある.しかし,b2)タイプは……個人的には子どもの頃から本当に苦手.企画側は別に報酬もらって動いているわけではない.おめーはいつから「お客様」「お評論家さま」になったんですか?
これまた勝手な美学だけど,b2)ってかっこ悪いと思うんだよね.しかし,いつのまにか社会が b2)の存在を許容し始めているように感じる.ダイバーシティーでもインクルージョンでもいいけどさ……この手をのさばらせると,あらゆる活動を市場化していかなければ社会は動かなくなるよ.
経済学者が市場化を批判すると奇異に感じるかもしれないけど,市場の機能を最大限活用するためには社会には非市場的な存在が不可欠なんだ.狭い意味での合理性の観点からも,市場での調達よりも非市場的な調達の方が合理的なケースがある.このあたりは企業とは何か,組織とは何かとあわせて本マガジンでも語っていきたい(シラス経済ゼミでやったけど……こちらはもうすぐ閉店ですmm)
さて,いい加減話を飲食サービス業における中規模飲み会の減少に戻しましょう.飲み会の幹事って,これに類したーー楽しいかどうか保証の限りではないけど,たまに面白いこともあるという催事をボランティアで引き受けているわけです.陰で文句言われてるんだろうなぁと薄々感じながらも何か楽しいコトしたいなぁとおもっているんです.飲み会がつまらなかったとしても,もう少し感謝してあげましょう^^
夜の街の再生は絶滅危惧種である宴会部長(飲み会幹事)の保護と育成にあります(おおげさ)
P.S.
こんな話を週2回(あっ……普段はもう少し経済学の話です),ライブ配信を月2回くらいお届けするメンバーシップもやってるのでよかったらみてみてね!
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