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脱資本主義と脱成長論(公開版)

 ちょっとだけバズったので今日は資本主義について.まぁ野暮なツッコミではありますが...

 元tweetはスウェーデンの自動車部品メーカーに転職して,スウェーデン情報を発信したり,移住・転職エージェントをされている方の発信.(単に営業tweetなのかもしれないのでさらにツッコむのは野暮ではある^^)
 住居費がバカ高い/給料はたいして高くない東京に住み続けることのデメリットについては本マガジンでも繰り返してきたところ.海外の話までもちださんでも,そして金銭的な貧富に限定しても東京は豊かな地域とはいいがたい.「所得中央値-住居費中央値」でみると東京は47都道府県中40位以下です.

なので,元ツイートの人の満足さは理解できる・・・けど,これ「脱資本主義」ではなく「バッキバキに資本主義」な暮らしだけどなぁ.

脱人間関係は幸福か

 元ツイの面白いところは,国際的な部品メーカーに勤務し,住居・家具・衣類を購入し,動画配信サービスを楽しみながら「脱資本主義」といってしまえるところ.別に学問上の資本主義とは...みたいなマウントをしたいのではなく,資本主義のすごさを痛感できるなぁと感心しました.ポイントは2つ.

資本主義が骨の髄まで内面化されていないとこのtwは出てこない
・「資本主義=なんかみんなが嫌いで悪いもの」という用語法で語る人がいる

ところ.

おそらくtw主は「東京でマウント合戦したり,人間関係に悩みながら生きること」から抜け出すことを「脱資本主義」とよんでいるのでしょう.
 しかし,マウント合戦や人間関係への悩みは資本主義に由来する問題ではありません.これは江戸期の日記なり,ソ連アネクドート(小噺)でも読めばすぐにわかる話.人間が複数集まれば「マウント合戦」「人間関係の軋轢」は必ず生じます.

 この種の問題から脱却する方法は「資本主義をやめる」ことではない.閉鎖的なコミュニティから抜けることです.共同体にとって「外様・お客さん」になればマウント合戦には巻き込まれない.人間関係の軋轢もすくない.だってコミュニティの正規メンバーじゃないんだもん.
 一方で,コミュニティへの帰属・所属には幸福度を上昇させる機能もあります.コミュニティの正規メンバーである,それゆえにコミュニティ内での発言力があることに満足を感じる人は少なくない.平均的には「近隣住民とのつきあい」や「近隣で信頼できる人の数」は幸福度を上昇させるとする研究が多いです.
 なお,居住地別にみると農村部住民の幸福度は主に「近隣住民とのつきあい」「近隣で信頼できる人の数」によって決まり,都市部住民の幸福度には所得の影響が大きい(→).これは人間関係好きな人は田舎に,人間関係はどうでもいい...…と感じる人は都市へと住みわけていると解釈できます.

 幸福な暮らし方に正解があるわけではなく,自分に向いたライフスタイルに身を置くことが正解(?)なのです.

 ただし,出生国と異なる国で暮らす人は幸福度が低くなるとする研究結果は多いので……国籍・出身というかなり大きなコミュニティにおいても他者であることは平均的には幸福度を上げないようです.

※これは,本当は地縁・言語コミュニティ所属が好きなのに,やむを得ず他所の土地で暮らすことになったという人(経済的な移民・海外労働)が国際的には多いことが理由かもしれません.

資本主義の悪魔化

 話を「脱資本主義」に戻しましょう.マウント合戦や人間関係での消耗……といった「嫌なコト」の代名詞として資本主義が使われている人物評で「資本主義の権化」といったらまぁ誉め言葉ではないよね.銭ゲバ!鬼畜!みたいなイメージ.

 いつのまにか,「資本主義」は誰もが批判していい...つまりは「資本主義という人・組織」はいないので文句言っても誰からも反論されない便利ワードになっている.
 この手のマジックワード化とその普及は空虚であるのみならず,時に言論に有害な影響を与えることになります.

「資本主義」という単語の語義が
a. 自由主義経済(より詳しくは,資産・生産手段の私有とその再投資による増殖)
b. なんか嫌で悪いもの

になると,b.を批判しているようにみせかけてa.を攻撃するという手法が可能になります.
 b.の用語法の枠内では「資本主義を超克しよう」「脱資本主義が我々を幸福にする」という主張は”定義により”かならず正しい.つまり,誰もが賛同できる主張になる.
 そしてb.に従った資本主義批判に慣れ親しんでいくと,a.に関する資本主義批判を受け入れやすくなる.これは,『ダメな議論』で強調した「Yes セット」の機能です.

そして、ある言説(X)が常識として受け入れられるようになると、それと似た言説も次第に常識化していきます。つまりは、多くの人にとってイエスな言説をストックスピールとして積み重ねることで、別の言説についても何となく納得させられていきます。このようにして一連の社会的言説や政策提言の全体が「何となく常識」化していくことになるのです。

飯田泰之(2006)『ダメな議論』,ちくま新書

  

 定期的に流行する資本主義批判はマジックワードとしての資本主義の特性を上手に利用した空虚な言説なのではないでしょうか.近年流行の脱成長論もそのよくある新バージョンの枠を出ていないように感じます.

「資本主義ではない」社会とは

 そもそも「脱資本主義」なんて可能なのでしょうか.少々細かな話をすると...資本主義は

・ 資産(土地・建物・機械類・金融資産など)が私有され
=資産から得た利益の処分権が個人に帰属する
+利益の再投資によって生産手段が増大する

という一連のプロセスから,

・資産をもつ者の私有財産が増大していく

という結果を生みます.一方で物的資本や金融資産を持たないものが保有するのは労働のみです.ゆえに,資産を持たない者は賃労働を通じて労働を衣食住に転換することになる.

 この資産の増殖スピードが(r),賃労働への対価……つまりは賃金の伸びが(g).そして歴史上多くの時期において「r>g」になる……というのがピケティの『21世紀の資本』のポイントだったわけ.

※正確には賃金の伸びとほぼ等しい経済成長率がg

 さて,資本主義に問題があるとして……改善すべき問題は「r>g」の格差拡大傾向の部分ではないでしょうか.しかし,「r>g」は資本主義の不可欠の要件ではありません.

 第二次大戦後の一時期はアメリカも日本も欧州各国も「r<g」になっていましたが,当時の西側諸国を「資本主義経済ではない」という人はまずいないでしょう.
 所得再分配政策によって格差の拡大を進めることもまた「脱資本主義」ではない.資本主義の枠内でその問題に対処する調整にすぎません.

 資本主義にとって本質的なのは「私有」の部分であってそれ以外ではない.私有の財産を対価なく奪われることがない……これが資本主義にとってコアな定義なわけです.

 すると脱資本主義とは「私有財産のない社会」「私有財産を対価なく奪われることがある社会」ということになる.それがどんな社会なのか.対価なく所有物を奪うために何が行われるのか...こう考えると本来の意味での資本主義(a.)を脱却するという提言がいかに恐ろしい世界であるのかを理解できるのではないでしょうか??

 

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