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エゴイスト

先週土曜日、ふと立ち寄った書店で出会いました。
 ―『石原慎太郎と日本の青春 永久保存版』文藝春秋社―

石原慎太郎氏と五木寛之氏の対談がありましたので興味が湧いて手に取りました。自分の無知を痛感した次第ですが、それで終わっては意味がないとお二人の対談を拝読すると、知識を収集することの価値について思考が馳せました。

知ることで理解につながる。思考することで真理に近づく。

今では検索すれば何でも簡単に知ることができますが、反面、思考する習慣を失っているのではないかと思います。

大昔には「私はこう思うがどうか?」「それについては私はうんぬんかんぬん」と議論しなければ物事の深さや広さを知ることができませんでした。

自分の考えを相手とぶつけて磨いていくことで、正しさとは何か、自分とは何かを思考していたのではないでしょうか。

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私はあるかどうかも分からないこの「真理」に興味があるようです。

なぜ興味があるのか考えてみると、やはり他人を見ていて客観的に―非常にお節介な話しですが―苦しんでいるように感じるのです。もっと幸せが増えればいいのにと。そして「真理」とは幸せに生きる術のように感じられました。

弱い自分を守るのに必死な人。
傷つける人。
既得権益に固執する人。
目先の楽を取り将来を捨てる人。
集団に属して孤独を忘れようとする人。
器用に振る舞えない人。
背景との縁が切れない人。

世界から、社会から、涙や叫びがなくなるように。そんな大きなことはことはできなさそうですが、仕事の中でも相手を抱きしめたくなることはよくあります。

そんな私も決して良くできた善人ではなくて、自分の幸せを追及して生きています。
正しいとは言えないこともたくさん考えるし行っていると思います。
エゴに生きたいと願っています。
自分が望む世の中になればいいのにと子供のように願っています。

みんながみんな、自分の人生に責任をもって幸せになればいいのに、そうはできない。

この苦しみから解かれるためにやるべきことを気づかせてもらいました。

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