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20年前の今日4月7日都内の病院で君は旅出ったね。


職場で倒れて、入院していたのは知っていたけれども、最初はとても元気で、こんなことになるなんて・・・


君は自分探しに苦労して、一時期引きこもり生活をしていたね。

僕は仕事が忙しく、相談に乗る余裕もなかったのが残念。

音楽の道を目指して、頑張っていたけれども、結局プロとしてはデビューできなかったね。

でも、大物歌手のバックでサックスを演奏できたのは良かったね!
僕も誇らしかったよ。

君は幼いころ、犬に嚙まれたね。

ボールを取りに行ったら、急に犬が襲い掛かって来て。
僕はあっけにとられて、何もできなかったのが恥ずかしい。

傷跡はずっと残ったね。

それほど裕福ではない家で育ち、好きなものも買えなかったけれども、叔父さんに買ってもらった「ライダーベルト」は宝物だったんだろうね。

幼稚園も予算の関係で入れないかと思ったけれども、どうしても行きたいと君が言うので、父が折れて1年だけ通ったけどとても楽しそうだったね。

学生の頃から音楽に夢中になり、ブラスバンド部でサックスを頑張ったね。

演奏会に見に行くのが楽しみだったんだ。

高校卒業後は、進路で迷ったね。
特に父とは激しく対立していたね。

秀才と言われ、戦前に中学受験し、教師や公務員として成功した父は、音楽の世界の可能性を理解できなかったんだろう。

ここから、引きこもりになったんだね。

もっとお金を用意できれば、好きな道に進めたかもしれないね。

音楽で夢破れた後、美術に転向して、専門学校で学んだのは良かったね。

作品を見せてもらったけれど、楽しさが伝わってきたよ!

インターンで働いた広告代理店で、某ビールメーカーの広告の仕事頑張ったね!

朝早くから、夜中まで毎日、仕事しすぎじゃなかったかい?

そのころ僕は、外資系のIT企業で海外研修が多くて、ほとんど会えなかったね。

亡くなる前の年の年末に、君は調子悪くしたのだけど、これに気付けなくてごめん。

ちょうど僕はその頃、仕事でパワハラに遭ったり、彼女と別れたりと、散々だったから勘弁してね。

それとさ、君が描いていた理想の家の絵!

笑い声が溢れる、楽しい家庭になっただろうに。

天国できっと、昨年10月に亡くなった父とも、仲直りしていれば良いね。

それと、維持費の関係で、お墓は谷中から馬込沢に移したからね。

母も高齢だから、お墓参りはできないけど、次のタイミングで、実家近くに移す予定だから、また引っ越しになるよ(笑)

では、そっちに行くまで、君の代わりに思いっきり人生楽しむから、土産話を楽しみにもう少し待っていてね!

弟 健司朗 2002年4月7日没

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