しんとあかるい〜小林久美子『アンヌのいた部屋』書評
歌集を手に取ったときにまず驚いたのは、その風体の軽さだった。空気のようだ、と思いながら砂の色の表紙を明かりの元で傾けると、黒の箔押しで記された書名と作者名が硬質的な輝きを帯びてきらりと光った。
導かれるようにして、歌集を開く。歌は、三行書きか四行書きになっていて、見開きに四首。五七五七七のリズム通りではなく、あくまでも言葉が切れるところで改行がなされている。
とうめいな器と真水
くもらせる
ことのできない
ものら触れあう
ページを繰ってゆくと、「未来」誌上で読んだおぼえがある歌に時おり出会う。が、一行書きで掲載されていた誌上とはまったく異なったイメージをもって立ち上がってくることに驚かされる。広く空けられたページの余白から立ちのぼる静謐さは、聖書の詩篇を読み進めているような錯覚すらおぼえる。
いっしんに
粘土を盛りつける
汝は手首で
前髪をかきあげて
集中には、彫刻をする「汝」と、「汝」をいっしんに描く「吾」(振り仮名はないが、音数から「なれ」と「あ」と読むと思われる)の静かな暮らしが描かれている。
紙をひろげて
サンギーヌに画く
白いビーズをつなぐ
汝の貌を
描く対象である「汝」のほかにもうひとつ、「吾」が深くこころを傾けるのは「ことば」である。
みぎ皿のこころを量る
言の葉を
ひだりの皿に畏れつつ載せ
「吾」の感情の根底には「畏れ」がある。この「畏れ」は「信仰」と言い換えてもいいようだ。そしてそれは描かれる「汝」への眼差しに共通するもののように思われる。
しかし、歌集中盤から「汝」の姿が見えなくなったことが示唆されるようになる。
八ミリフィルムのなかの
汝はひかり しきりに
なにかを語りかける
読み進めていくうちにやがて、「汝」は在り方を変えたのだろうと思うようになる。「吾」の裡に「汝」はたしかに存在しているからだ。
胸に汝が
質量をもちはじめる
時おり憶いだされる
せいで
手には軽いこの一冊の歌集は、存在する、あるいはしない「吾」と「汝」のいる空間で満たされている。まるでこの本自体が「アンヌのいた部屋」であったかのように。寡黙さゆえの雄弁さとでも呼ぶべきか、必要以上に語らないことで描かれうる世界があることを思う。
いましがた
までこの部屋に
いたひとの名残りだろうか
しんとあかるい
初出/未来2020年3月号
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