【レビュー】五十嵐律人『原因において自由な物語』
原因において自由な行為について争われる例は、裁判実務上、おそらくそれほど多くない。それは、責任能力が争われる事例において、仮に飲酒や薬物によって責任能力が争われる場合であったとしても、飲酒や薬物摂取の時点で自らの行為を予見できているのであれば、少なくとも未必の故意に欠けるところがないというのが通例だからだろう(最判昭和43年2月27日参照)。
それでも、刑法理論の緻密さや精密さというのを超えて、この用語自体には抗しがたい魅力があって、意味は分からないけど何となくカッコ良い、