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ありがとうございました|中島梓織【交互浴をするように】


こんばんは、おぺです。

先週末のことになりますが、芸劇eyes番外編vol.3「もしもし、こちら弱いい派―かそけき声を聴くために―」無事終了いたしました。このような状況の中、最初から最後まで誰一人欠けることなく舞台の本番を終えられたこと、ほんとうに有り難いことでした。ご来場いただきました皆さま、関係者の皆さま、ほんとうにありがとうございました。

いいへんじは『薬をもらいにいく薬』の「序章」を上演しました。「序章」と言いつつ40分もやらせていただいてしまいまして、これからあと40分から50分くらいの続きを、一年間くらいかけて書いて作っていきます。これくらいのペースで物語を進めていく団体です。今回がはじめましてだった皆さま、これからどうぞよろしくお願いいたします。「続きが楽しみ」と言ってくださる方も多くて、ほんとうに励みになります。がんばります。生き延びます。贅沢な時間と環境を、ほんとうにありがとうございました。


河野桃子さんにインタビューしていただいた記事でもお話させていただきましたが、「弱い」という言葉や「弱いい派」という名前については、ほんとうにいろいろなことを考えました。


いいへんじの作品の中でいう「弱さ」は、おそらく、はっきりとした答えを出さなかったり、くよくよ考えすぎてしまったり、同じところで足踏みをし続けてしまったり、そういうところなのかな、と、解釈しています。そういう状態を肯定したいという意味では「弱いい派」なのかもしれませんが、そもそもそれは「弱さ」なのでしょうか。そういう状態が相対的に「弱さ」と"されてしまっている"状況については、わたしはイエスとは言えません。(ということを稽古場で話したとき、すごくどきどきしたけれど、しっかりと受け止めてくれた座組みのみなさんがすごく頼もしかったです。ありがとうございました。何度も何度も言っているのですがみなさんのことが大好きです!)

そのスタンスをわたしたちなりに示すことができれば、と思っていたのですが、今回の「序章」では、「弱さ」(とされてしまっているもの)の肯定までしかお見せすることができなかった実感があり、(逆に言えば、そこに関してはしっかりとお伝えできたのかなとも思っていますが、)外側のことまで描き切ることができなかったことが、ちょっと心残りだったりもします。

遅いことを大事にしているけれど、遅いからこそ悔しいこともちゃんとありますね。

だからこそ、ぜひぜひ、来年初夏に予定している『薬をもらいにいく薬』の完全版、観に来ていただけたらうれしいです。『器』との二本立てで、現代社会を生きる若者の「死にたみ」について、めいいっぱい考えていきます。

(作品の内容のことについてもいろいろ書こうと思ったのですが、長くなってしまいそうなので、続きができてからにしようかなと思います。まだまだきっといろいろなことを発見していくのだと思うし。)


いや~~ でもね~~ ほんとにね~~ 楽しかったんです~~ 幸せだったんです~~ (いま急に赤ちゃんになっちゃったと思ってください)(終演後に急に赤ちゃんになりがちなので放っておいてください)

終演からすでに一週間くらいが経とうとしていますが、余韻がずっと消えなくて、稽古したいな本番したいなってずっと思っています。昨日くらいからやっと仕事が手に着くようになりました。その間にTwitterの下書きもたくさんたまってしまったので、以下にまとめてあります。

不安なこともたくさんあったし、プレッシャーはんぱなかったし、布団からも部屋からも出られない日がこの期に及んでまだまだあったけど、それでも、外に出ることができたのは、素敵な景色を見ることができたのは、みなさんとの約束があったからです。あらためまして、ほんとうに、ありがとうございました。

またお会いできる日まで! みなさまどうかご自愛ください!


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わたしはもういい大人ですのでパピコを一人で全部食べます

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いいへんじの作品を観た方には「やさしい」とよく言われる。「やさしいだけでおもしろくない」ともときどき言われる。「まずはやさしさじゃない?」と思っているので、やさしいままでもっとおもしろくなります

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久々のひとり暮らし、意識してひとりごとを言うようにしている

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いろんな音楽をお守りとして持ち歩いている自分としては、今回の作品を自分にとっての「お守り」や「お薬」になったと形容してくれるひとがひとりでもいることがうれしい

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ひとりになったとたん泣いちゃったな

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「男女が手をつなぐ=恋愛」とか「結局女は弱いから男が助ける」とかそういう方程式もぶっこわしたかったから、最後に二人が手をつなぐ場面をきちんと"連帯"として示せたのはよかったなと思う。情緒的になりすぎないように、と、エミさんとゆうとがずっと気をつけてくれていた。ありがとうございます。

ただ、これが、ハヤマさんが不安障害じゃなかったら、ワタナベくんがゲイじゃなかったら、成立しないのだろうか、ということは、すごい、考える。自分でもまだもやもやしてる。これでほんとによかったのだろうか、みたいな。「"当事者"じゃなければやさしくできない」という言葉にしてくれた方もいた。そうなんだよな、そうなんだよな。これはどちらかというと劇作上の問題。

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約二週間ぶりに劇場から自宅に帰ってきたソファ。横になったままずっと動けない。ほんとうに幸せな時間だったな。なんもない明日なんか来なければいいのに。

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宮地くんが『器』の「思索と試作」のあとに書いてくれたnote、いまでもときどき読み返して勇気をもらっていること、今度、本人にちゃんと伝えよう。ちゃんと伝える前だけど、引用します。

「弱いい派」でくくられる団体の大半を僕は知らないのでアレだけど、派閥でくくられるのなんでだろうね。弱いし強くなるつもりもないけど何か?みたいなやつは知ってるけど、いいへんじはそれではなかったね。

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久々に短歌やるか

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自分で書いておいてなんなんですが、ワタナベくんの「でもそれは一人のときでしょ」って台詞が好きです。ハヤマさんの「想像すればするほど不安になることのほうが多いから」って台詞に対するさらっとした返事。自分で書いておいてなんなんですが、なかなかのグッド・レスポンスなんじゃないかなと思います。演じてくれたゆうとの、ちゃんと優しいんだけど押しつけがましくなくて軽やかな感じと相まって。あんまり派手な場面じゃないけど、とても、好きなんです、この瞬間が。

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しかた無いなと分かっていながら
どこかイマイチわりきれないよ
先を思うと不安になるから
今日のトコロは寝るしかないね

ってね、思っていたのにね、よかったよね


(ちなみにこのアルバムのジャケットがビタミン剤の写真なの運命じゃないですか?)

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知らないことは書けない、「だから知っている範囲のことだけを書く」だったのが、「だからできるだけ知ろうとする」になってきてるのが、二十歳の自分からの変化かな

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案の定、燃え尽き症候群

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久しぶりに『器』の映像を観て胸がギュンッってなった。いろんな意味で真正面からぶつかっている作品。去年はほんとうに自分も社会も混乱状態だったから、こうするしかなかったんだよね。改めて推敲や稽古をしてどうなっていくかいまから楽しみ、と思う反面、2020年にしか感じられなかったことは大事に大事に残しておきたい。

『器』と『薬をもらいにいく薬』は、いろんな意味で相対的な作品なので、どちらも、観てほしいです。観てもらえるようにがんばります。


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奇しくも旅人のような恋人は旅の真っ最中です!

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いいへんじのみんなと今回の振り返りと次回の作戦会議をしました。がんばりたい。『器』の推敲も『薬をもらいにいく薬』の続きの執筆もきっと死ぬほどつらいけど、生き延びたい。みんなとまた会いたい。

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ずっとこわかった、けど、みんなのおかげで最後までできました。ここまでたどり着けたのは、みんなのおかげです。ほんとうにありがとう(流れるような握手)

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