異邦人

4年の東京での音大生活、7年のヨーロッパ留学を経て、現在、音楽研究者です。オランダのマ…

異邦人

4年の東京での音大生活、7年のヨーロッパ留学を経て、現在、音楽研究者です。オランダのマーストリヒト音楽院、スイスのチューリッヒ音楽大学にてオーボエを、イタリアのローマで指揮を勉強しました。23歳から30歳の間ヨーロッパにいました。現在、広島在住。

最近の記事

指揮者

最近、よく考えることがある。 指揮者についてである。 これらの人は音を出さない。お願いするのである。 応えていただけるかどうかは、説得力のひと言に尽きる。 また、音を出す側(たとえば私はオーボエ奏者)の時の経験がいきる。どうして欲しいかがわかるからである。 そういう意味でも、何かの楽器は絶対にいい指揮者と演奏経験を積むといい。 盗めるから。 ここでごちゃごちゃ理屈をこねる暇はない。 とっととやれである。

    • 本物の勉強は人からじゃないと絶対無理。 断言できる。

      • 音楽はhave to やnotからは決してうまれない。 Want の世界だからだ。 Better to do itはありだと思う。

        • システムに頼る者は、システムに潰される。

        • 本物の勉強は人からじゃないと絶対無理。 断言できる。

        • 音楽はhave to やnotからは決してうまれない。 Want の世界だからだ。 Better to do itはありだと思う。

        • システムに頼る者は、システムに潰される。

          チューナーとメトロノームをいつも使う人間は、自分の聴く力や感じる力を侮辱している。 使うのはときどきでいい。

          チューナーとメトロノームをいつも使う人間は、自分の聴く力や感じる力を侮辱している。 使うのはときどきでいい。

          休日

          休日にスコアと格闘する予定である。 合宿である。 普段できないことします。 もうここまでいくと完全なる趣味です。 作曲も編曲もやってみたいけど、数年かかるので無理。 PCでは絶対しない。

          お天道様は見ている。

          お天道様は見ているよ。 こういう言葉を古いと感じる人も多くいる。 だいたいこういう人は目的のためには手段を選ばない。 こういう考え方、危険である。 もう一度ものの道理を考え直したほうがいい。 お天道様は見ているよ。 うちの祖母がよく言っていたのを思い出す。

          お天道様は見ている。

          Profile

          <Profile > 綿岡浩平 1987年生まれ。 広島県広島市出身。 2010年武蔵野音楽大学を卒業後、オランダのマーストリヒト音楽院にてオーボエをMarc Schaeferdiek氏に師事。 2014年同音楽院卒業。 その後、Thomas Indermuhle, Christian Schmitt, Ernest Romboutなどの各氏に師事。また、イングリッシュホルンをMartin Frutigerなど各氏に師事。 これまでに指揮法をRaffaele Napoli,

          上達

          芸の上達はクセを徹底的に省くこと。 そこではじめて特徴というのが出てくる。 クセを個性と勘違いすればあとは落ちるだけである。

          数学と音楽

          数学と音楽。 一見すると関係ないように思える。 音楽は感性、数学は論理。 実は逆なのである。 音楽は論理、数学は感性なのである。

          数学と音楽

          音楽教育

          お腹が空いたとき、喉が渇いたときが1番栄養を吸収する。 音楽教育も同じ要領である。 必要に迫られなければ、人は本当の意味で学習しない。 学習しても身につかない。

          音楽教育

          人に何かを教えるとき

          人に何かを教えるとき、何を言うべきか、何をすべきかを考える人が非常に多いが全く逆である。 何を言うべきではないか、何をするべきでないかが最も肝心なことである。 最も大切なことは、その人にしかわからず、その人にしか解決できないからである。

          人に何かを教えるとき

          物凄く皮肉を言うようであるが、人にものを教える機会があるとき、非常に大切にしていることがある。 教わった側が「わかった!」と喜ぶことより、自分がどのくらい「知らないか」を知ってもらうことを心がけている。 この方が、そのときだけでなく、一生使えていい感じがする。 私の方式。

          物凄く皮肉を言うようであるが、人にものを教える機会があるとき、非常に大切にしていることがある。 教わった側が「わかった!」と喜ぶことより、自分がどのくらい「知らないか」を知ってもらうことを心がけている。 この方が、そのときだけでなく、一生使えていい感じがする。 私の方式。

          落ち込む人は信用できる。 落ち込まない人は信用できない。 ある程度の外部からの期待値で満足しているからである。

          落ち込む人は信用できる。 落ち込まない人は信用できない。 ある程度の外部からの期待値で満足しているからである。

          学問を知っている人の特徴

          ある道の専門家に専門のことを事細かく尋ねてみるとよい。 恐らく学問が何かを知っている人は、様々なことについて答えてくれるであろう。 逆に知らないことに関しては、躊躇なくわからないと答える、もしくは何も答えずあなたのもとを立ち去るであろう。 学問がどのくらい広く深いか知っている人は必要以上にアピールしない。 少なくとも、本物を見たことがある人は恥ずかしくてできない筈である。

          学問を知っている人の特徴

          センス

          センスとは状況に対する判断力である。 それは知識、経験から産み出される。 まぐれでは決してない。