私が書く理由
書く仕事がしたい、そう思った。
幼少期の私は、曽祖母が習字をしている横にくっつき、習字の真似事をしていたらしい。(その頃の記憶があまりなく、母から聞いた話である)。
来る日も来る日も、曽祖母の千里に会いに行っては、千里にぴったりと小さくふわふわした足をくっつけて、真似事の習字をしている私を見て、母は『この子はおとなしい子に育つわ』と思ったらしい。
毎日文字を書いても飽きず、たんたんと書き続けた私。もうこの頃から、書くことに生きる意味を見出していたのかもしれない。
超安定と言われる公務員からフリーライターになる人は、かなり少ない、否、ゼロに近い。まわりの「なんで」「なんで」という執拗な質問、というか責めを右から左へ受け流し、華麗にフリーランスに転身してやった。2021年春、桜が散って柔らかな葉桜になっていた頃のことだった。
フリーライターが大変なことは重々承知している。収入が増えない、国保が高い、年金も高い。国税で個人事業主の方と渡り合ってきたのだ、そのあたりは承知の上で書く仕事を選んだ。
そもそも、なぜ私は書くことに拘ったのだろう。幼少期から好きだったのは間違いない。中学校のときも、夏休みの宿題で読書感想文が1番好きだった。高校生になり大学生になり、だんだん書くことへの意識が下がってきた。それでも言葉への言い表せぬ思いは持ち続けていた。
大学卒業後、子どもに英会話を教える仕事をしていて、その日のことをノートに記録したり、クラスごとのお便りなんかを書いているうちに、また自然と書くことを生活に取り込むようになった。デニムにスニーカーというラフなスタイルで出勤し、クラス日誌を電車内で書くことを日課にした。
そこで気づけばよかったのだが、深層心理を無視するかの如く公務員に転職し、13年間合わない靴を履き続けた。
長年合わない靴を履いていた足は、靴擦れと豆だらけで、なんともごつごつした女性らしくない足に変貌した。
でも、紆余曲折あってようやく今、書く仕事をすることができている。時間はかかったけれど、ようやく辿り着けた夢のスタート地点。ふわふわの足のときみたいに自由には書けないけど、靴擦れと豆だらけの足の今でこそ書けるものを書いていこうじゃないか、という心境である。
思うに、私にとって書くことは生を感じる手段なのだろう。全身全霊で書いていると、生きていることを実感するし、なんだか許されているような気までしてくる。書くことでしか生きていることを表現できないとしたら、もうこれは、一生をかけて続けていくべきライフワークとも言える。
書く人になったばかりの私が、今日も生きるために書く。
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