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いつか大人になる君へ

2016年、私は母になった。

長い不妊治療期間を経て、顕微受精でようやく授かった子宝。

妊娠判定の日、検査薬の陽性を見た時は、嬉しいというよりも報われた想いが強かった。不妊治療には痛い注射や採卵後の苦痛など体の辛さだけでなく、周りがどんどん妊娠していく焦りや陰性が続くことへの不安など、心の辛さも伴うからである。

蝉の声が煩い夏の日、人一倍大きな泣き声をあげて生まれたわが子は、私に光と希望をくれる輝かしい存在に思えた。

数日の入院後、自宅でわが子との生活がスタートした。

育児に休憩はない。授乳、おむつ替え、寝かしつけなど、矢継ぎ早にわが子からの指令が飛んでくる。しかも緊急指令である。対応しないわけにいかないのだ。

里帰りしたり、いわゆるイクメン(この言葉あまり好きではないが)の夫がいれば良いが、私にはそのような恵まれた環境はなく、母ひとり子ひとり状態。毎日が子育て戦争だった。

無人島に敵とふたりきりにされたと仮定してみてほしい。いつ敵が攻撃を仕掛けてくるかもわからず、食事は喉を通らないし、おちおち眠ってもいられないだろう。

そんな感じで、私は常に臨戦体制だった。しかし、そのような緊張状態が長く続くわけもなく、ある時、プツッと切れてしまった。

そのきっかけとなったのは、娘が夜通し泣き続けたことだった。抱っこしても、授乳しても、歌を歌っても、何をしても泣き止まなかった。

「もう!いい加減にして!」

大声に驚いた夫が慌てて起きてきた。

「変わるから、ちょっと寝てきて。」

夫に娘をバトンタッチし、久しぶりに寝室のベッドで眠った。子どもが生まれて以来ソファで眠っていたので、ベッドの温かさをありがたく感じた。

翌朝リビングに行くと、子の横で夫がいびきをかいて寝ていた。同じ顔がふたつ並んだその様子は、とても微笑ましかった。

コーヒーメーカーのスイッチを入れた。部屋中にコーヒーの良い香りが漂っていた。こんなにもゆったりと時間が流れるのはいつぶりだろう、と少し懐かしさを感じた。

淹れたてのコーヒーを啜りながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。しばらくすると、目を覚ました子どもが泣き出した。

そっと抱き上げ、人一倍大きな声で泣くわが子をじっと見つめた。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな小さな身体。

いつか私の手を離れていってしまうだろう君。触れられるうちに、たくさん触れておこう。たくさん抱っこしよう。心からの愛してるを伝えよう。

いつか大人になる君へ。



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