「オトナ帝国」とクレヨンしんちゃん的家族主義。雑記 2018/04/16

もう何回見たか分からないオトナ帝国。悪役の試みは、野原一家という「家族」によって阻まれる。計画をくじかれた二人は最後身を投げようとするが鳩のつがいに阻まれる。そして「また家族に邪魔された」と言う。クレしん映画では結局「家族」が最強。この家族至上主義は批判的に考えてみたい。

あと「20世紀的なもの」に執着する悪役が「家族」を疎み「家族」に負けることをどう考えるか。だって「家族」ってもろ20世紀的な枠組みでしょ。サザエさん的な。ここに物語のねじれがないかと思った。「家族なき昭和」という虚構を愛してる悪役たちがねじれたものとして表象されてるとも言えるかも。

20世紀的なものを愛し固執したケンとチャコが「家族」という超絶20世紀的なものに殴られる物語。結局二人が愛した「昭和」はとても美化された恣意的なもので、「本当の昭和」には泥臭い人間関係のしがらみや家族主義的な紐帯がもたらす不自由さがあったわけだよね。

だから最後野原一家によって「家族」の威力を見せつけるというのは、「本当の昭和」を直視せよ、という意味でも成り立っていて、最後それに打ち破れるのは「家族が素晴らしい」からではなく「こんな面倒なものが昭和にはあった」という絶望によってではないか、という超アイロニカルな見方もできよう。

だから最後野原一家が「家族とともに未来を生きる」と訴えるのは、むしろ悪役の二人より「昭和的なものを引き受けていく」姿勢であって、その意味で最も「20世紀的」なのは野原一家なのだ。

つまりこの作品は、「20世紀を愛するものを21世紀を生きる者が倒す物語」ではなく、「見せかけの20世紀を愛する者を、本当の20世紀的なものを引き受ける者が倒す物語」だ。

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