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渡米して5ヶ月でレイオフを経験した①通達から退職まで

(写真:散歩していたら公園に遊具があったので登った。元気に無職をやっている)

いつもnoteに書いていたように日々大変だけど楽しく働いてて、間違いなく充実していたところでチームごとレイオフを食らってしまった。

転職活動も終わってから綺麗にまとめたnoteを書こうかとも考えた。しかしやっぱり忘れる前に1度出しておきたいと思い直し、買ったばかりのM2 Macにウキウキしながら書いている。

まだ転職先は決まっておらず、アメリカの就活事情について書くのは数ヶ月後となりそうなので、この記事ではどういう風に告げられたか、何を感じたか、これから何が起こりそうかを記すことにする。所感については細かく、かつ推敲控えめに正直に書いてみようと思うので長くなるかもしれない。

今の状況、これから何が起きるか

長ったらしい日記の前に、事実を述べておく(ビザ事情に興味がある方向け)。
なお、ここで出てくる夫のEビザ手続きはもっと複雑だが、もし書くとしても彼本人がやった方がいいので、詳細を割愛する。

  • 私は会社がスポンサーとなってくれたL-1ビザ、夫はその配偶者ビザにあたるL-2ビザで働いていた

  • Lビザは駐在員用のビザで、スポンサーとなっている会社以外では働けない。つまり転職が認められていない

  • 普通はLビザ失効後、60日以内にアメリカから出て行かなくてはならない

  • 幸い夫のEビザ申請が完了しそうなタイミングだった(これが済んだ後だったらもっと悩みは減ったので、もうちょっと遅くレイオフしてほしかったのが本音…笑。でも本当に命拾いした)ので、上手く通ればアメリカに残れる

  • 幸いEビザは配偶者も働ける(例えば、アメリカ勤務の定番ともいえるH-1Bビザは配偶者の労働が認められていない。でもLやEと違って新たなスポンサーが見つかりさえすれば転職できる。一長一短あるねぇ)

  • 私が今持っている選択肢は

    • Eビザを発行してくれる日系企業に転職する:手続きさえ済めばすぐに働き始められる

    • 夫のEビザが降りるのを待ってから働く:数ヶ月ラグがあるものの、日系企業以外でも働ける。この場合も、就職先が将来的にH-1Bのスポンサーとなってもらえるパターンが望ましい

ということで、60日以内に絶対転職!!!というよりはEビザの承認を祈りつつ少しずつ知人の紹介から就活を始めている状況。
夫婦で互いが互いのバックアップとなっていたのは大きなことだったと実感しているので、いったんは配偶者ビザに頼ることとなってもまた自らの就労の権利を勝ち取りたい。

さて、ここからはだらだらと濃い1週間で経験したことを書いていく。

通達の日

2/22(水) 10:00にチームミーティングが入った。前日にセットされたもので、「明日は必ずオフィスに来てほしい」というお達し付き。レイオフまでは予想していなかったが、何となく嫌な予感がする。直前に1on1した同僚とも「なんかいい知らせじゃない気がするんだよね」「分かる」と話していた。

いざミーティング

上司(直属ではないもう1つ上の上司。これ以降、「大ボス」と呼ぶ)だけでなく、CMOとHRも部屋に入ってきた。見たことないメンツ、悪い予感が確信に変わる。
大ボスが「残念ながらプロジェクト(OSS)を続行しない決断をした」と切り出し、CMOが

  • ヘッドカウントの問題で弊社からはこれ以上投資できない

  • 今まで貢献してくれてありがとう

  • たくさん疑問があると思うからこのあとすぐHRとの1on1をセットする

といった旨の話をしていたが、私は周りのメンバーより事態を飲み込むのが遅かった。「そうか終わっちゃうか」「待てよ、これもしかして噂のレイオフ?ビザどうなる?」「でもHRと面談って、社内で別の部署に移る相談ってこともありえる?いや、ヘッドカウントの話してたな…」と考えつつ、とりあえずHRからの話を待つかぁなんてのんきに構えていた。他のメンバーに確認すれば良かったのに、1人が「I think that's it! 🤷‍♂」と呟いて解散ムードになるまでは皆が無言で、異様な雰囲気に押され混乱していたのでパッと聞けなかった。

英語では日本語より直接的な表現が好まれると聞いたりするけど、「あなたはレイオフ対象です」とはっきり言われるわけじゃないんだなぁと後から思った。

HRとの面談まで

まだレイオフされた確証のない私は自席でHRへの質問を考えていた。声をかけてくれた事情を知る同僚に「混乱してる…(シンプルに何が起こったのか理解していないの意。アホである)」って答え続けるbotとなっていた。
ここで大ボスも「あとで話そうね」って言ってくれて、「うん。でもプロジェクト終わっちゃうってことはもうやることないよね。面談まで暇なんだけど今これ何の時間?」とは尋ねた笑

悩んだのは夫に連絡するかどうか。異動なら家に帰ってからでもいいよなぁ、でもレイオフだったら即言わないとなぁ…と。
結局、直属の上司が「もう帰るわ」「いつでも電話してね」と言ってくれた時、あ、やっぱあかんやつやと思い夫にLINEした。出来事と、夫のビザ申請を可能な限り急いでもらう必要があるかもしれないということを伝えた。

HRとの面談

How are you? に対してまた「混乱中だよ」と答えて、「まぁでもアメリカではこういうことがあるって噂には聞いてたよ」と続ける。日本ではなかなか起こらないことを伝えたら驚いたようだった。

そして「そもそもこれってチーム全員退職ってこと?」と数時間温めた質問を投げかける。残念ながら肯定されてしまった。事務的な連絡が始まる。最終出社日が1週間後であること、保険のこと、401kのことなど。

正直内心どうでもいいと思ってしまって、とにかくビザの話がしたかった。話を聞きながら「この人たちは私がビザで来ていることを忘れているのか?」とすら考えた。アメリカで働く友達(他社)から「レイオフあったけどビザで来ている人は避けてもらえたっぽかった」っていうのを何度か聞いていたので、自分に何かあっても考慮してもらえるとちょっと甘えていたのだ。

当然そんなことはなく笑、「通常60日以内にアメリカを出ないといけない」という話があった。いやいや東京と大阪じゃないぞ…半年前に大移動したばかりだし家の契約は続くしテスラ頼んじゃったし友達に元気にいってきますしちゃったし…えぇ…ってなった。「まじか。残る方法考えないといけないわ。えぇ?うーん、ブツブツ…」と嘆いていたら、会社の弁護士に相談の機会を作ってくれるとのことだったので、お願いして1on1を終えた。

まだ事態が飲み込めず悲しいとか辛いという感情は湧いてこなかったけど、じんわりうるっとなって、漫画でよく見る「あれ…わたし…なんで泣いてるんだろ…えへへ」になってトイレに逃げた。混乱だね。

大ボスとおしゃべり

今の会社に入ったのもアメリカに来られたのも彼のおかげ、恩人であり大事な友人である大ボスと帰宅前に話した。上司としてではなく友達として言葉をかけてくれて、アドバイスもくれて救われた。

直属のボスと電話

帰ってから話した。私よりずっと長くプロジェクトを見てきた彼は落胆しただろうし、一緒に頑張ってきたので辛かった。
未だどこかのんびりしている私は「私達明日から急に姿を消すの?社外のOSSコントリビューターがびっくりしない?」「メンターしてる大学生に何て伝えよう」とか後のことを心配していたんだけど、「そんなことは何とでもなるから自分のことに集中していいんだよ。とことんselfishになる時だよ」と言ってくれて切り替えられた。

この後は夫とビザについて少し相談して、何となくこれからやるべきことを考えつつ早寝した。ビザ間に合わなかったらどうしようって思ったものの、この時点では判断がつかないことも多かったのであまり考えなかった。でも一応、偽装離婚/結婚までは頭をよぎった(追い込まれてたね)。

レイオフの兆しはあったのか

告げられたのは突然でやっぱりびっくりしたけど、兆しがあったと言えばあった。今年に入ってから出張とか契約社員が減ってた。

ただ、昨今レイオフが増えておりTwitterでも散々話題になっていたのに会社でその話が上がったことはなかったし、社内イベントとかはいつも景気が良さそうだったので「来るとしてもまだ先かな」とたかをくくっていた。

最終出社日まで

最終出社日までの1週間はだらだら過ごしながら最低限の活動をした。今回はあまり細かく書かないが、レジュメやLinkedInも更新した。

知人への報告

すぐ公にするかは悩んだ。ただ、色々教えていただけることもあるかなと思って通達の翌日にはツイートし、ビザ関連の情報を得られたので助かった。

それ以外はレイオフに理解がありそうな人から少しずつ伝えていった。仲が良いかとか普段連絡を取っているかというより、落ち着くまではまず自分の状況がすんなり伝わる相手に話したいと思ってしまった。やはりこの文化は日本にいると馴染みがないし、日本のクビと同じものだと捉えられる可能性があることにどうしても抵抗があった。

でも段々公表にも慣れていき、結果として多くの方が話を聞いてくれて励ましやアドバイスをくれてありがたかった。私の場合、心配されすぎるより「なんとかなるから大丈夫!」「きっと次が見つかる」というようなカラッとしたエールに救われるんだなと気付いた。自分自身が深刻さを理解しきれないまま過ごしていたからかもしれない。

仕事の紹介についても、インスタの投稿から学生時代の友人がたくさん声をかけてくれた。正直、仕事に繋がるご縁はTwitterで何とか見つかるか見つからないかだと思っていたので、美味しいもの・ばえるものしか上げていないSNSで反応を得られて驚いた。
久々な人からも連絡があり、「え、そこで働いてたの」とか「あなたもベイエリアにいたのね」という再会は嬉しかった。しばらく連絡を取らないうちに多くの友人が世界中で活躍しており、勝手に誇らしくなったりもした。

ところでひとつだけ、レイオフされた方にかけて良いか考えた方がいいかもと思った種類のメッセージがある。自分の経験というより他の方への引用RTで見てチクリとしたのだが、誰かのため、今後のため参考になればと思ってあえて書く。
もちろん励まそうとしてくれている行動なので取り上げるのは悩んだし、「言っちゃったな」と後悔したり不快に感じたりする方がいたら本当に本当に申し訳ない。
「既に頑張ってる人に頑張ってって言うのはよく考えたほうがいい」みたいな話と同じ類のものだと捉えてもらえたら嬉しい。感じ方は人それぞれで、あくまでこれって私の感想だしね。

それは、「○○さん(ほどの能力がある人)でもレイオフされるんですね」みたいなやつ。会社にもよるだろうが、レイオフの対象は能力と関係ないこともある。と書くと私が有能なのにレイオフされたって言いたいようで嫌だけど違う。実際、全員退職することとなった私のチームには「え、この人手放すの?」という人もいた。能力や成果での判断ではなく、何らかの機械的な決定がされているだけの時も多々あるようだ。
この事実はレイオフされた人にとっちゃある意味ありがたく、「今回は無能だと判断されたわけじゃない。避けようのない仕方のないことだったんだ」と落ち込みすぎずにいられるという側面がある。自分ではそう認識して納得しているところに前述の言葉が来ると、「あなたの能力は十分高いと思いますよ。それなのに会社の要求に達していないと判断されたんですね」と言われた気分になってしまうのだ…。これはこちら側になってみないと分からなかった。能力に言及するなら、「すぐ新しい会社が見つかるよ」という方向性の方がポジティブで良いかもしれない!

仲の良かった同僚たちに連絡

会社によって、レイオフを告げられた瞬間すべての社内リソースにアクセスできなくなる場合もあるらしい。自分の場合は1週間の猶予があったため、面識ある同僚たちと別れの挨拶をしたり、連絡先を交換したりした。

会社には日本人が自分しかおらず、毎日異文化漬けで日本語・日本人の知人に逃げようがないのが気に入っているところだった。色々な人と交流を持ててきたおかげで、今後についてのアドバイスも様々な視点からもらえた。

  • 知人の会社紹介するよ

  • レジュメをレビューするよ

  • 面接の練習に付き合うよ

  • LinkedInで宣伝するよ

と言ってくれる人も多く、社交辞令として流さず実際今レジュメ作成や宣伝などにおいて甘えている。ChatGPTのレジュメレビューも最高だったけど、AIと自分のタッグには限界があるからね。

会社に退職日交渉

前述の通りビザが切れたら60日で退散せねばならないが、夫のビザ申請が上手くいってもギリギリすぎる。そこで、給与も福利厚生もいらないので1ヶ月だけ退職日を伸ばしてほしいと依頼したところ、受け入れてもらえた。大急ぎで意思決定してくれたことには感謝が尽きない。

ちなみにこの件、1週間しか猶予がない中で最初のレスポンスが若干時間を要したため「え、私もう無視されるまでになったの?」と被害妄想が始まりそうだったが、良くなかったなぁ。とにかくレイオフがどういうことなのか、された人間がどう扱われるのかが何も分からなくて、いちいち無駄に戸惑った。きっと次はもっと堂々としていられる…けど次は来ないで欲しい。

引き継ぎ・送別会デー

会社として従業員及びその業務時間を使ったOSSへの貢献をやめるだけで、実はプロジェクトが即刻消えてなくなるわけではない。1日だけチーム全員で出社して、大事なところの引き継ぎを行った。
引き継ぎ先は1人。もちろんドキュメントは揃っているものの、複数人から2年分の情報を短時間で渡されてもキツいでしょという感想しかなかった。
レイオフ、去る方も見送る方も様々な痛みを伴うイベントだよね。

吹っ切れたのか空元気なのか、同僚たちはやけに明るかった気がする。そのままちょっとしたお別れ会へ行くといつものランチみたいにおしゃべりは楽しくて、この人達ともう働けないのかぁと残念だった。

最終出社日

引き継ぎの翌日が最終出社日だった。いつも親切にしてくれてる同僚が1on1をセットしてくれてたし、他にも挨拶したい人がいたので顔を出した。他のチームメイトは前日をラストとしてて、「わたし明日も来るねん」って言ったら「なぜ笑」と言われた笑。

短い期間だったけど、アメリカの文化が分からなすぎて戸惑い続けていた私をいつも助けてくれた皆は最後までハートフルだった。ある人に「いつも助けてくれたね、ありがとうね」ってお礼したら「何でそんなにクールなの?当たり前でしょうが」って言われたよ。これからもいい友人でいたいな!

貴重な経験ではあった

一昨日ついに会社のリソースにもアクセスできなくなり無職(正確には無給の休職中)となったのでここまで書いてみた。

あの通達日が1ヶ月くらい前に感じるほど、この1週間の経験や学びが大きすぎる。雑にまとめると

  • 来るときは本当に容赦なく来る。自分(の組織)は大丈夫という思い込みは甘えでしかない。なるべく備えておきたい

  • たくさんの人が助けてくれてる。自分もそうありたい

ということかなぁ。嫌な出来事なのは間違いないけどきっと未来に生きるし、出来る限り努力すればなんとかなるだろうという精神で次のステップに向けてやれることをやろう。

でも、せっかくお休みなのでのんびりもする。国内のお友達に会いに行こうかなぁ。

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