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モラトリアム(笑)の笑みを取り払う(違和感マガジン#02)

はい、違和感マガジンのお時間です。

毎度釈迦とリレー形式でお送りするつもりだったこのマガジン。
早くもすっかり形を成していないけれど、まぁどんどん形を変えていきながら落ち着く場所を探すのもありでしょう。
自分からは一応の形式に則って釈迦の記事を紐解いてみようと思う。

今回はこちらの記事

要約すると、「悩むこと」はそれ自体がネガティブなイメージを持たれる事が多いけれど、むしろ彼は「悩む事」に依存している、楽しんでいる。
みたいな感じ。

釈迦は言う(お釈迦様が言ったみたいだな…)

要するに悩むことに依存している。悩んでいない自分に違和感を感じちゃってるってこと。やばいなこれは。

確かにやばいかもしれない。

でも実際、これには自分も強く共感する。
自分が仕事を辞めたきっかけは「ゆっくりと考える時間が欲しかった」からだ。

何を考えるのかと言われれば、まぁ今後の生き方だとか、その生き方を実践するにはどうすれば良いのかとか、自分の本当に好きなものは何か、などなど。
そしてその生き方を軌道に乗せるためにもやっぱり時間が欲しかった。
お盆休みやゴールデンやシルバーなウィークや、正月休みだけじゃ一向に足りない、もっともっと、考えて考えて、考えまくれる時間が欲しかった。

が…現状どうなっているかというと、まぁ未だに飽きもせず考えている。
あっちにいったりこっちにいったり、気付いたら戻ってたり、後ろを振り向けば来た道が分からないくらいにまだ考えてる。
でも…やっぱりまだ進む道を見つけきらない。
それでも少しずつ、こうやってnoteを書いたりする事で進むべき道が、進みたい道がほんの少し見えてきたという手応えもある。
ほんとうに、、ぼんやりとだけれど。
だから悩む事、考え続ける事は超クリエイティブなんだなと最近は思う。

で、釈迦はこう続ける

でもそれ(悩む事に依存する事)を最近は、妄想力が半端じゃないんじゃないかと言い換えるようにしました。自分が死にたくなるほどの妄想をしつこくあきもせずやってられる。
だったら自分に都合のいい妄想をしつこくやればいいだけのことだと思ったのです。
だから今は、いろんなものを遮断して距離をとり、自分の都合のいい世界で生きています。要するに引きこもり。

世の中から見れば
「あーあ、開き直っちゃったよこいつ」「引っ込んじゃったよこいつ」
そんな風に捉えられるかもしれない。
きっと自分だって働いていた時にこんな事言ってる奴がいたら同じ事を思ったかもしれない。
イタイやつ、甘えたやつ、腐ったやつ。そう思ったかもしれない。

釈迦も言うように世の中はこういう状態の事をモラトリアムと言う。
横文字でカッコいい感じもするけれど、その言葉に漂うニュアンスはそんなかっこいいもんじゃない。
どちらかというとモラトリアム(笑)みたいな、見えない(笑)が隠れている。
でも、釈迦はとにもかくにも深く考えている、悩んでいる。
そしてそれを楽しんでいる。
何が生まれるかは分からないけれど、これってすごいクリエイティブなんじゃないかとやっぱり思う。

だから、今は彼を全肯定したい。
イタイと思われようが、甘ったれていると、腐っていると思われようが構わない。
そう思われる事にまさしく「違和感」を感じるから、自分ももっともっと考えて、悩んで悩み抜きたい。

結局のところ人間は何をやっても良いし、どう生きたって良い。
でも就職もせずに家にずっといると、きっと友達も親も心配する。
フリーターで居ると、言ってる事に説得力はなくなるし、何を言っても空回りしそうで言いたいことも口ごもりそうになったりする。
こうやってnoteに書くことすらも「俺、むなしく吠えてるな」と思ったりもする。

でも、でもだ。
でもでも、でーも!!
自分は考え続けたい。悩み続けたい。吠え続けたい。

「好きが高じていつの間にか仕事になってました」
なんて名を馳せた人はよく言ったりするけれど、なんとなく今その最中なのかなと少しだけ思う。
悩んで、考えて、虚しいと思いながらも吠え続ける。
結局のところそうするのが好きで、まぁ辛さもあるんだけど、大方楽しんでやってる。
そんで、もしかするといつのまにかそれが仕事になったり、するんじゃ、なかろうか……と思い始めた。
というのが、最近モヤの中から少しだけ見えた道だ。
ううむ、我ながら楽天的だ。

とまぁ、まさしくモラトリアム真っ只中に今自分はいる。
モラトリアムには(笑)がもれなくついてくる。30歳超えると間違いなく付いてくる。
そんな空気に「違和感」を感じる。

結局のところ何を言うかではなくて、誰が言うかが重要なのは重々承知している。
(でも多分優れた物語を作る人は、物語の皮を被ってこういう気持ちを物語に乗せるんだろうな…)
でも自分の大切な今この時を(笑)われて、見下されて黙っていられない。
負け犬の遠吠えだって、時に誰かを励ます事だってあるはずだ。
だから今日も力いっぱい考えて、悩んで、吠えている。

つーわけで非常に内省的な文章になりましたが、今後はもっと誰もが気づかない、でも言われてみると確かに「違和感!!」な事を発見して書いていきたいと思います。(できるかな…)

では!!

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