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高橋明也・冨田章・山下裕二『初老耽美派 よろめき美術鑑賞術』(毎日新聞出版)

作品楽しむ極意ゆるく

初老耽美派は、還暦を過ぎた美術史家3人が酔った勢いのまま冗談半分で結成したユニットである。鼎談形式で語られる本書は序盤から初老トークが炸裂する。やれ腰が痛いだの、老眼で見づらいだの、トイレが近いだの初老談議は尽きない。

私たちが考える理想の美術鑑賞は、万全の体調で好きなだけ作品と向き合うというものだろうが、実際は自身の体調や美術館の物理的な環境に左右されることが多い。むしろ美術鑑賞はそういった身体的・物理的制約に条件づけられていることを本書は再認識させてくれるのだ。

作品を見る「目」も同様だろう。私たちは「男性的」あるいは「女性的」な視線で作品を見ていることが多いが、そのことをあまり意識することはない。しかし男性初老耽美派は「男性的」な視線で作品を見ることを積極的に奨励する。なぜならエロスは「美術鑑賞の母」だからである。

ゆるいトークとはいっても、話の端々に長年の美術史家としての教養や蘊蓄が溢れ出ていてとても勉強になる。特に長年「異端」と見なされてきた一部の日本近代美術は「超絶技巧」や「奇想の系譜」の観点から近年見直されてきていることもあって(そうしたブームの牽引役が日本美術史が専門の山下氏だ)、こんな作品もあるのかと教えられるところが多かった。

ひとはなぜ美術館に足を運ぶのか。初老耽美派の出す答えは、とてもシンプルで明瞭である。「今の世の中って、役に立つことばかりがもてはやされるじゃない」(冨田)。「しまいにゃ、美術をビジネスに役立てようなんて言い出す始末」(山下)。「何かに役立てようと思って美術を見るのはすごく嫌だ。美は、もっとピュアでチャーミングなものであるはずだから」(高橋)。

本書で取り上げられる作品は東京都内の美術館・博物館の収蔵品がほとんどだが、地方在住者であれば本書読了後、地元の美術館・博物館の常設展に出かけ、自分好みのお気に入りの作品を見つけたくなるはずだ。

2020年4月5日(「南日本新聞」掲載[一部改稿])