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京都の老舗旅館

 永年勤めた会社を離れるに際し、部下や後輩たちが送別会をやってくれるというからコロナ禍を口実に断った。
「君らが気にすべきは部下や後輩だろ。上を見たって会社は強くならん」
 そうしたら「これだけは受け取ってくれ」と高価なカタログギフト旅行券を頂いた。ありがたい話である。

 最初から京都の老舗旅館と決めていた。若い頃、潜りで出た大学の観光学の授業で、その存在を知って以来いつかお邪魔してみたいと思っていた憧れの宿。

 ごった返しそうなゴールデンウィークを避け、でも本格的に暑くなる前がよいということで、連休から1週間後の5月15日(月)で予約をした。

 あとから知ったのだが、この日は葵祭。こんな大きなイベントも知らず日程を決めるなど何とものんきな話である。沿道から葵祭を少し眺めてから宿に向かう入る道順を考えていた。

 ところが当日の朝になって、祭りが順延。予定を変更し、青蓮院、知恩院を巡ってから、早めに宿へ着いた。

 憧れの宿は期待を上回るものだった。さすがに格式ある老舗旅館。細部まで美しい。障子の取手は芸術作品。床の間はまるで絵画。朝まで冷めないという見事な高野槇の風呂(確かにそうだった)。ほー、へーと唸りながらたくさん写真を撮る。

芍薬が出迎えてくれた

 夕食の途中でわざわざ女将がやってきた。お礼に続いて、熟練マーケターよろしく、「なぜ選んでくれらたのか?」「今回の旅の目的は?」など質問が続き、最後に、「もしよろしければ葵祭の招待券ありますが、使われますか? あいにく一枚だけですけど」と驚きのご提案。観覧席は、予約完売かつ変更不可(今時こんな仕組みでいいのかと思う)で一枚も残っていない。こんなありがたい話はない。

 翌朝、名物の朝食も早々に、京都御所へ。招待席へ向かった妻は、手荷物チェックに加えボディチェックまで受け、建礼門前の指定ゾーンへ。会場に流れる解説を聞きながら、間近から華麗な行列を堪能した。

 昼食を済ませて、荷物を取り宿へ戻る。女将は不在だったが、他の方に祭の様子と我々の感動を伝え、形ばかりのお礼の品をお渡し帰路に着いた。
 宿の方が、外に立ち見送ってくれる。姿が見えなくなるまでなのだろう。遠くから振り返って会釈すると会釈を返してくれる。私が営業の時に仕込まれた送迎の基本動作のお手本のようだ。

観覧席奥のフリースペースから


 翌々日の朝、女将から電話がかかってきた。「たくさんのアイスクリームありがとうございました。ほんの一枚なのに。お礼が遅うなりましたが、昨日はお疲れやないかと思いまして一日置きました。またぜひお越しください」

 会社生活では、お礼は翌日の早朝に、と仕込まれていたが、また一味も二味も違う対応に驚いた。


 今回は、たまたま予約した日が四年ぶりの葵祭で、そのあとで上皇様上皇后様のご視察も発表されてより注目され、天気のせいで順延されて招待券をいただくという何とも幸せなな巡りあわせ。今回は妻にとっても大きな節目。長年のお礼ができ、思い出に残る旅となった。

 それにしても老舗の魅力は何なのだろうか。施設や料理は重要な要素であろう。加えて、お見送りやお礼の電話のように、人の技や心が重要な仕上げを彩っている。

 魅力的な女将をはじめそこで働くお一人ひとりが全体として一つの形を造っている。永年の創意工夫と努力の積み重ねであろうことは想像に難くない。老舗旅館とは、こうやって人と人を繋ぎ、一期一会を大切にして、大勢の客を喜ばせながら悠久の時を紡いでいる、AIに真似できない先端産業だと知った。


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