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漱石山房記念館

こんにちは。お元気でしょうか。元気でなくとも、変わらずに過ごしていらっしゃいますでしょうか。
俺はいま東京にいます。今夜はライブハウスでひさしぶりに演奏をするのです。ついさきほどリハーサルを終えて、本番まではまだ充分に時間があります。ここは早稲田。夏目漱石ゆかりの土地だと聞いて、少し散歩してみることにしました。
夏目漱石は、おそらくあなたもそうだと思うのですが、中学時代に国語の授業で「こころ」を読んだのが最初だったと思います。「向上心のないものは馬鹿だ」というセリフを聞いて、まったくその通りだ!と頷いたことを覚えています。
あれから十数年経ってあらためて夏目漱石の小説を読んだのですが、一番強く感じたのは「憂鬱さ」だったと思います。「陰鬱さ」の方が正しいかもしれません。恋をしていても旅をしていても、どこか楽しそうではない。俺はいま34歳ですが、同い年の漱石は何をしていたかというと、留学先のロンドンで神経衰弱に陥っていたそうです。「吾輩は猫である」を書いたのが38歳なので、漱石はまだ小説家にもなっていません。その数年は、漱石にとって苦々しい季節だったのかもしれません。どこで読んだかは忘れてしまいましたが、ロンドン留学中の漱石は気晴らしのために自転車の練習を始めたそうです。俺は今でもときどき頭のなかで思い浮かべることがあります。曇天のロンドン。噴水のまわりを自転車でぐるぐると回っている夏目漱石の姿を。

話を戻しますが、2022年2月19日。東京は曇天で、いまにも雨が降るか降らないかという感じです。東西線早稲田駅を出るとすぐ目の前に看板が立っています。その看板に従って歩いてしばらくすると、「夏目漱石誕生の地」に辿りつきました。そこには背の高い墓石のような記念碑が立っていましたが、隣接するやよい軒の存在感の方がはるかに大きかったです。
次に向かった先は「漱石山房記念館」です。記念碑のある「夏目坂」を上らずに、駅の方に少し戻って小道に入ります。その通りには猫のシルエットが描かれた看板がぽつぽつとあって、ぼけーっと歩いていても漱石山房記念館へと導かれていくのです。ここは晩年の9年間、漱石が暮らした家の跡地で、当時の書斎やバルコニーなんかも再現して作られています。1Fの常設展示に加えて、2Fでは「漱石からの手紙」というテーマ展示が開催されていました。本当は最初からこの話をしたかったのですが、随分と遠回りをしてしまいました。

「人に手紙をかく事と人から手紙をもらふ事が大すき」
門下生・森田草平に宛てた手紙のなかで漱石はそう書いています。書簡集に収められているだけでも2,600通以上の手紙が残されており、一日に何通もの手紙を書いていたとのことです。実際の手紙を見てみると、明治から大正へと時代が変わっていくなかで漱石の文体も変わっていることがわかります。学生時代の手紙は漢文?のような、筆記体のような、現代を生きる俺には読み解くことができないようなものでした。それが次第に現代の口語文に近づいていきます。インターネットで調べればすぐに出てきますが、漱石の妙にかわいらしい、まるっとしたフォントは、ぜひ実物で確認してもらえたら嬉しいです。
漱石が好んで書いた無数の手紙。現代でいえば、メールやLINEということになるのでしょうか。しかし、俺が送ったメールを100年後の誰かが見つけることはないだろうと思います。俺が書く文字の癖を、知られることはないだろうと思います。俺はそれがとても寂しい、というか、俺だけの話ではなくて、人間の歴史においてかけがえのない質感が失われていくような気がするのです。記念碑に美しい文章が刻まれていたとしても、それを掘ったのは漱石ではありません。それよりも、下手をすると捨てられてしまうかもしれないような手紙に、染み込んだインクにこそ意味があると思うのです。そして、それを見たときに初めて俺は、あ、漱石はいたんだ!と信じることができるのです。
長くなりましたが、「手紙っていいなぁ」と思ったのでそれを書きました。ただそれだけのことです。いつかあなたにも直筆でお届けできるときを楽しみにしています。それでは、ページのキリもいいところで。本番の時間も近づいています。自分にとって良い演奏ができるよう、がんばってきます。あなたもお身体に気をつけて。また会う日まで。

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